母の命日とカウンセリング

今日で母が亡くなってから丸三年。

弟もちょうどシフト上休みだったので、うちに来てもらった。

こんなに冷静な命日を迎えられるとは三年前には思えなかった。

ワーカーには三年かかってやっと折り合いがつくと

亡くなってすぐの時に聞いたけど、どんな風に落ち着いてるのか想像ができなかったのだ。

弟が来るまでに掃除して、いつもよりお供えのお菓子も母の好物にして

果物も買った。

淡々と準備してた。

弟が来て、二人で線香はあげたけど、叔父や祖母の宗教は脱会したし、お題目もなし。

お坊さんも来ないからか、なんの締まりもない命日で。

弟とポツポツ話すことも、多少は母の思い出話であったが

少し恨み話しも入ったり。


私は今回の娘の問題でなんとかくわかったことがある。

母子分離に失敗して今、ボーダーやっているのだが

母子分離失敗したのは物心つく3歳で弟が生まれたからではないか?

弟が憎くて憎くて、暴力は弟からへが最初だった。

今日は旦那と私とカウンセリングに行って

今後どうするかの話し合いをしてきたが

半分は私が喚き散らして散々なものになっていた。

今のワーカーになってから初めて、ちゃぶ台返し並みに吠えてきた。

娘がやったことは過去の私を被害者にしたが

今の私はそのことでコントロールを失い、娘に暴力を振るう加害者になった。

前回、義母に預かってもらったが、旦那はとにかく預かってだけしか言わないし

いつ頃どうするも何もなく。

お任せしたなら気にしなかったらいいとはいえ

姑相手にそれもまたハードルが高く。

とりあえずは娘の涙を見て落ち着いて、先週日曜日には戻ってもらったが

今後何で火がつくかわからないから、私が出る案をまた自分から口にした。

なのに、だ。

『また追い出される』

とどこかでスイッチが入ると話し合いしに出向いたことすらひっくり返しにかかってた。

やっぱり、過去の自分が暴れる。

制御不能

「この話し嫌やねん!」

(避難する方法や場所を私が考えることについて
)

と声を荒げてワーカーにぶつけていた。

普段外では猫かぶりな私が。

もうワーカーとの関係も、家族との関係も全て壊れてもいいや

そう思ってた。

責任について、ワーカーには突き詰められてったからなのだが

そこには過去、自分がしたくないことでもしょうがなかったでやらされたやん!

があった。

だから余計にぐちゃぐちゃに。


ちょっとキツい。

続きはまた次回。