基礎講座、各種ミーティング1

水曜日、クロスアディクションミーティングのテーマは

「自分が本当に望んでいるものは何か?」

仲間の司会が一巡し久しぶりに看護長が司会だった

アルコール医療の治療契約の中である程度の月日が経ってから

患者に幾たびか問う言葉だそうだ

本人がどの程度の回復をしているのかを

患者と医療者で段階を共有する為

(?・自信ないが・汗)


私が今、「本当に」望むのは健康で普通の暮らし

高校受験の頃、友達が騒ぎ出し、私も初めて焦って、生活保護を受けてたにも関わらず

中3の時だけ塾に通わせて貰った

入塾テストは殆ど出来なくて、帰り道
『高いお金払って試験受けたのに、滑って塾入られへんかったらどうしょう…。』
『おかぁちゃん、ごめん』

と思いながらとぼとぼ帰った

塾も商売だから入れてくれた

私はCクラスのケツから2番目

私の他にもう1人出来の悪いのがいたのに驚いた


高いお金払って塾に通わせて貰うのだから成果を上げねばと必死になった

初めての中間テストが終わり成績結果を見てクラス替え

私はAクラスの上から3番目になった


中間テストと期末テストはそこそこ出来るようになった

学校と塾で習うのだから

その代わり実力テストは散々

中学1・2年のかなり勉強不足も範囲に入っているからだ

普段の勉強では追いつけなかった

取りあえずAクラスは維持してたけど、高校は中の下くらいの偏差値だった商業科に入った

本当はほんの少し上の普通科に行きたかった

仲の良い友達も目指していたから

右へ習えなところがあった


それだけでなく、母は狂う度
関西大学に行け」

と言った

中卒のコンプレックスからか、そんな無理難題を言った

私は自分の成績では到底無理な事は理解していた

でも、潜在意識に植え付けられた『大学』は高校3年まで

いや、現在まで引きずっている


母が問題を起こす頻度が増えるようになり私は普通の暮らしが出来なくなっていった

普通の女子高生が出来なかった


(続く)