25日(月)グループミーティング 1

テーマ『自分で飲まないことを決めた』
 
 
アルコール依存症という「病気」を本当に知ったのは19歳だった
 
母のことをアル中と思ってはいたが、躁鬱病で入退院を繰り返す精神病院で
 
ワーカーに
「お母さんにはアルコールに問題があります。」
 
と言われたのは最初の入院から7年後の事だった
 
そして私も「共依存」の状態で「家族も病気」と言われた
 
私はほっとしたような、腑抜けたようななんとも言えない気持ちになった
 
やっと原因が分ったという気持ちと、私と母のどちらが狂っているのか
 
分らないくらい、私も自分がおかしいと思っていたから
 
 
そして主治医に
「毎日通院です。」
 
と言われた時に私は勿論先生に反論
「止めれるワケないじゃないですか!!」
 
と喰ってかかった
 
先生は
「できるかできないか、やるのはお母さんだから。」
 
何を言ってるんだ!?この医者は!?
 
頭おかしいヤブなんじゃないのか!?
 
あんな飲んだくれに出来る訳ないやんか!!
 
なんで入院させてくれへんのよ!?

あんな気違い沙汰起こすのに面倒見られへんわ!!
 
と心底思った
 
だが、母はやり始めた
 
結局スリップしたが一度は講座を受け
「お酒って怖いなぁ〜。」
 
とまで私に言った
 
 
私は私で家族教室に出た
 
そして、その時母の担当だった保健所の精神保健相談員の方にアラノンを
 
教えてもらった
 
木曜日の日記にも書いたが、12ステップを自ら歩まれている方だった
 
その前の担当者は母に家に呼びつけられ、正座させられて、泣かされていた
 
(こんな人アカンわ…。)
 
と思ってた
 
ところがこの人はまるで違う対応を取るのだ
 
アルコール依存症という疾患をきちんと知っている相談員には
 
母の飲む事や騒ぐ事への理由付けや、説教も全く無効だった
 
でも、私にはそれを母の側で実行するには辛すぎた
 
 
自分というものの生き方にも悩みがあったし母との実践が毎日繰り広げられる
 
あくまで提案だったが私はそれを受け家を出た
 
母はその日、12月4日からゴールデンウィークまで断酒した
 
奇跡だった
 
母は正しく飲まない事を自分で決めたのだ
 
 
(続く)