プレッシャー? 2
(眠くなってきたが続き)
一応返信の時にうちの先生の方針は伝えてみたが
スポンサーの結婚式の経験を言われると、やはり服薬した方が?
とも思った
でも、本心を言えば必要ないとも思ってた
確かに酒が出る席だし、結婚式で出るワインは飲み干してきたし
飲みたいけど、飲みたくない
自分がアル中だと認めるまでに15年も要したのは
母と同じ飲んだくれだと認めたくなかったから
飲む度に飲み過ぎて罪悪感と絶望感に苛まれるようになった
最後の飲酒の時も私は絶望感に打ちひしがれた
私はアル中なのか!?
と
ひとつの病気なのに、他の人がアル中でも偏見はないのに
それでも自分が飲んだくれだと認めるのはキツかった
どうしても、何があってもあの母と同じ道を歩むことは
死を意味するくらい私には認め難いものだったから
だからそんな絶望感を乗り越えて、自分はアルコールに対して
無力だと認めたことはほんまにキツかったから
無力を認めるまでの苦しみに比べたら、飲まないことは、
飲酒欲求を抑えることは、そんなに辛いことではないからだ
飲まないと言う自信はどこから湧く?と言われたら
それこそ悩むし自信はない
ないけど…。
と言う自分の信念みたいなものがある
だからスポンサーにメールで言われた時に正直反発心を持った
私はつくづく高慢で傲慢な人間だと言うことを
隠しておきたかったから診察で聞いたのだ
でも自分はこんな人間なんだと認めないといけない
私のことを心配してくれる人にさえ、こんな風な感情を持つ
人間なんだと
それから、自分のアディクションの中でアルコール依存についての
位置と言うか、何というか、それはそんなに上ではない
捉われは凄いのは事実だが、アル中になることを懸念して
晩酌の習慣をつけてなかった
無駄な努力だったが
だからただ単に「今日は飲まない日」が続いてるだけなので
何が何でも断酒と言う気負いもなかったりする
その辺の温度差とクロスだと言う温度差はやはりあるな〜と思った
アルコールを封じられても他のアディクションがあるから
(続く)