ふと疑問が

火曜日からワーカーにお手伝いいただいて

その他ミーティングで、昭和60年の夏のことを

詳細に話して卸し始めた


ステップ4として、棚卸し表を書くことが

何回も挑戦しては挫折してきた

どうしても、大人の今現在の私が

過去を振り返るのではなく

あの時の自分になってしまい

破綻するのだ

スポンサーにも盆前からの脳内の話を少しして

話すことがこうしてどうにか出来るなら

音声で行こうと提案をもらった

独りで向き合うのとでは、やはり違いがあり

ぶっ飛びかけても、どうにか今の年齢に留まることは出来ている


平行して、旦那との関わりに関しては

棚卸し表を書いている

こちらも遅々として進んではいないけど

それでもなんとか書いている


昨日の昼間、ベランダで煙草しながらふと思った

『火曜日に話したことは、私の妄想と捉えられていたらどうしよう…。』

あんな話を信用してもらえるのか?

私の妄想と捉えられてしまったら

私の統合失調症が発病したと思われても仕方ない

そんな疑問と言うか心配と言うか、不安が過った


ワーカーにも昨日、それを伝えた

「病気なのはお母さんですから」

と言ってもらえた

私の話を妄想とは捉えられてなく、少しだけ安心

自分でワーカーのその言葉の後に

「この頃はね」

と付け加えていた

今はすっかり、ビョーキ持ち

ただ、統合失調症の診断はされてない

されていたら服薬拒否なんて暢気な話は言ってられない

気合いでどうにかなる病気じゃないのは

アホな私でも分かってる

分かってても母に関してだけは

ビョーキで片付けられない


もし私の妄想と捉えられるようなことがあっても

弟や祖父母に叔父といった証人もいるんだが

生活保護課にはぶっといぶっとい記録もある

それに

あの夏が私の妄想なら、どれだけいいか

そうとすら思う


話してみて

『ツッコミどころ満載な出来事だったよな』

とか、少し冷静に思えていたりする

印象に残ってることしか勿論覚えてはいないけど

まだまだ話し終えそうにないくらいは覚えてる

まだ昭和60年の夏は終わってない