叔父からの電話 2
続き
金曜日に看護長に母の今の状態で出た薬について相談して
やはりもう一度受診が望ましいと意見もいただいた
私の中では大変が先に立ってたのも事実で踏み出せないものの、放置してその大変がきたら
余命宣告されてからも2ヶ月経ったし、それこそ最悪の事態
薬でなんとかなりそうならやはり落ち着いてもらった方がいい
本人やはり夜中の3時などに覚醒しては眠れないままらしいし
これもどうなん?
睡眠薬も調整できんのか?
内科では薬にも限界はあるだろうが
昼寝は多少してるとは言え、やはり夜中の覚醒は体にもよくないし
看護スタッフも大変だろうに
また脱線
外来受診するとして、でも話しを聞いていただいて
こないだ一人が大変だった話しもした
弟は?、今月は厳しい
まぁもう2月になるのを忘れてたんだが
叔父さんは?
機嫌よく通院してはるよ
叔父に頼ることを提案するんだ〜?
とちょっと驚いた
叔父にも頼っていいの?みたいな
あの時は共鳴する可能性があるからと私が言って止めにしたけど
長話の時間もないから言わなかったはずだが
本当はこないだ私も考えていた
私一人が抱えて過去に押し潰されては後が困るし
消去法だった
弟→仕事の都合で無理
滋賀の叔父→私でも7時代に家を出発、滋賀からは間に合わんので無理
大阪の叔父→乗り換えもなく一番近いが共鳴しそうだ、無理!
旦那→直前まで仕事の都合がわからない、保留
みたいなものは頭にあった
結果的に無理でもこないだも自分だけで抱えようとしなかったし
今回も頼ることは考えた
そんな風に変わった自分は誉めておく
クリニックの帰りには、もし誰も頼れなくても再受診の覚悟はした
腹を括って次の日にワーカーに電話して、返事は主治医に聞いてから
この時点で即答がなかったので、今日の返事にもどこかには
「やっぱりかい」
もあったけど
「おーまいがーっ!!」
もあった
つくづく私は、迷うことや悩むことが多いように作られてるらしい
こういういろんなすんなりいかない難しい事態ばかりであると
やっぱりデカくなった感情は『絶望』の表現になりがち
叔父も平穏無事に乗り越えて、と祈るばかり