叔父からの電話 1

先週の火曜日か木曜日だったかに、叔父から電話があった

「お母ちゃんのがんな、抗がん剤は使えんの?」
「テレビでやってたんやけど、2年経った今も生きてるらしいで」

みたいな内容だった

なので医者から言われたことをまたもう一度話した

抗がん剤は正常細胞も攻撃するから、いろんな病気がある人は余命を縮める

って話し

叔父がテレビで見た抗がん剤イレッサだったが

あれも母のがんがわかってから、ネット徘徊してたら目には入ってきた

使えん抗がん剤だし詳しくは覚えてもいないが

間質性肺炎だったか何かの副作用が高確率で起こることもあるとかなんとか

だったかいな?

それともなんちゃら肝炎だったかいな?

とにかくそちらで命取りになりそうな副作用


叔父も姉と一番近くで生活してて、母が離婚してからは叔父も独り身だからと

晩御飯と風呂には入りにきたり、行き来もよくしてはいたが

近くにいた分、迷惑も被ってた訳で恨みも持ってるから

躁転すると母への怒りも聞かされる

それでも叔父も姉が近々死ぬとなると、いろんな思いがあるんだな


何か方法はないのか?

ってのは、家族みんなが思うこと

現実問題、いろんな病気があるし、経済的にもかぶれる人間は身内にも居ない

最低限の出来ることが、一般病院への転院と

ホスピスの準備と、面会くらい

それしか私には思いつかなかった

治療を受けさせたいと思っても、生活保護なら限界はあるし

かといって扶養も出来ない

無力ながらに出来ることが上に書いたことだった


叔父が電話の終盤に
「病院(見舞いに)行かんでもいいかな?」

と私に聞いた

「ん〜」

顔を見せてくれる気持ちは嬉しいし、きっと母もまた来てくれたら嬉しいだろう

だけどそろそろ2月

叔父の鬼門は2月である

だいたい躁転が自然と始まってたのはいつもこのくらいだった

んで夏場ピーク

それに叔父の発症も母の躁転に感化されたと本人も言っていた

まだ30代前半の頃

寄れば共鳴する可能性大

だから
「今あの状態は見ん方がいいんちゃうかな?」
「また落ち着いたらお願いする」

と待ってもらうことにした


続く