叫んでみた

娘もバレエに行ったことだし、泣いてみることにした

「悲しいよー!悲しいよー!悲しいよー!」

って、叫びながら泣いてみた

ちょっとだけスッキリした


また微熱も出してるし、寝るなら誰も居ない今のうち

叫ぶほどに悲しかったのも、やっとわかってきたことだし

ひとりの時なら出しても笑う人も居ない

また小出しにやろう


自分のほんとの感情に気がつくまで時間がかかり過ぎる

後からもやもやして怒りになるくせに、つい人の気持ち優先にしてしまう

染み付いた癖はなかなか消えてもくれないし、薄まってもくれないや

旦那の親の気持ちを考えずに、自分の気持ちを優先すりゃ良かったと後悔

自分の気持ちがわかったなら、昔みたいにもう我慢しないと決めた

悲しかったら恥ずかしいとか思われても、人前でも泣いてやろう

あっけらかんと振る舞うから伝わらないなら、泣きたい時は泣いてやる

だけど、これって私には凄く怖いことなんだよな

決めたと言っても、多分まだまだ出来ない

まず独りで泣く練習から

悔し泣きは出来ても、安全はカウンセリングみたいな場所以外では

本気では泣けないのだ

ワーカーが以前言ってたけど、10歳から声を殺して枕を濡らしてたのも

泣くこと、悲しむことなどを受け入れられたという経験に繋がってないから

どこかでは経験してきたはずでも、一番親にそれをしてもらいたかった

安心して出していいと学んでない

出すには嫌味か怒り

そら伝えても相手も反発して当たり前

だけど

ちょっと想像力働かせたらわからない?

と思ってしまう

私が人の気持ちをあれこれ考えるように、周りもちったぁやってみてくれや

みたいな怒りとか

あんたらが思ってるほどに私は強くないんだけども


今までは悲しいながらも精神病でも母は生きてたから、どうにか僻みながらもスルー出来たことが

今は余裕がなくてスルー出来ない

兄嫁と比較されたのも、義母にしたら私の方が長いし気楽だってのもわかってる

それでも、後からもやもやしてきたのは、誰よりも「普通」に憧れて努力したつもりだったから

旦那の転職までは誕生日にもお寿司屋さんや河豚を食べに連れて行ったり

義母の母親は初めてお年玉をもらったと喜んでくれたのだって

いつも年寄りは邪魔者扱いされてたからもある


それだけでなくて、やっぱり縁あって義理のおばあちゃんになった人だし


それだけいろいろ考えてきた

こう書くと「やってやった」になっちゃって有り難さなんかなくなるけどさ

義母が言わんとしてることはわかってて

私もそう捉えたもんだからすぐには何も言わないで笑ってた

だけどやっぱり、ずっと私には僻みもあったんだよ

片親で精神病だから軽く見られてるとか、今は僻みの中にいるからそう思ってしまう

それは間違いなくない話しなんだけど

義母の弟さんは私の母と同じような状態の人なんだから

だから今まで正直に話して泣いてきた

泣ける場所だった

こき下ろしに入ったのも自分が歪んだ考え方になってるからだ

それでも

私が一番、誰よりも「普通」を演じようとしてたんだよ

周りもわかってくれてるとか勝手に思ってたから腹が立ってて

独り何をやってんだろうか?

また敵を作るのか?

かと言って黙ってようにも、もっと理解ある人の中で吐き出して泣いてからじゃなきゃ無理だ

仲間にもわかってもらえなかったら?も恐れになってる

葬儀が終わった報告後、スポンサーにもまだ連絡もしてない

出来ないから

何をどう話したいのか、自分がわかってないんだもの!

人の気持ちは間違いかも知れなくても、ちょっとした表情の変化や声のトーンから想像するのに

自分のことはこうしてさっぱり

ほんとめんどくさくなった

スッパリおさらばしたいくらいの勢いで、めんどくさくなった

かといって、以前みたいなムチャクチャをやる根性ももうなくならせてもらったし


二十歳で家を出たのも、自分や母親の回復を期待したからだ

出たくて出たならもっと人生楽しんださ

あんなガリガリに痩せるまで、ご飯食べずにいなかった

だから私はずっとずっと悲しかったんだよな

悲しいと泣いたら拒絶された経験はあるし

蓋をすることばかり覚えたけども、きっちり蓋が出来るほどの小さな悲しみじゃなかったから

悲しみも全て怒りで現す私には、旦那や弟や子供を使って爆発するしかなかった

アディクション

ちょっとずつ自分が見えてきたけど、怖さがなくなるわけでもなく

やっぱり叫ぶほどに悲しくても、さっきまで我慢してたし

生理ももういつきてもいい時期だから、余計に爆発寸前で

正しく爆発するのは私には怖い


何週間か前のテレビで、泣けてしまった

家族が見てるテレビだから当然家族はいるわけで

また他の部屋にでも行ってごまかそうかと思ったけど、試しに素直に泣いてみた

案の定旦那にバカ笑いされた

まぁ笑うわな

鉄腕ダッ○ュで震災までのバナナを育ててる話しで号泣だものな

だけどさ

何もなく過ごしてた日々が一瞬でなくなった事実があるんだよ

泣きながら旦那にはそれは言った

「失った経験をいっぱいしたから、過剰にシンクロするのも仕方ないやん!」

って

私は被災もしてなくて、こうやって毎日の生活に文句を垂れてるだけだけど

親を亡くす恐怖心とは子供の時から闘ってたし

父親が突然「リコン」で居なくなったことに気付いた日や

その後の母と父の仲直りにちょっとした子供の知恵を絞って、叶わなかった挫折感とか

「だからテレビ見たくないねん!」
「何がスイッチ入れるかわからんのに!」
「こうして泣いたら周りは笑うやんか!」

テレビ見ないのも恐れでしたわ

映画館は暗いしみんな泣いたり笑ったりしにきてるからいいんだよ

家はダメだ

ダメ


やっぱり微熱でもしんどいよ〜

ちょっとでもいいから共感されたい

ちっとも救われた感覚にならない

カウンセリングでワーカーが共感を示してはくれてても

欲張りだからまだまだ足りない

いつも渇望ばかり