アルコール依存症 〜彼の遺したメッセージ〜 3

施設から戻って義母から娘を引き取った
「もう大丈夫です」
と嘘をついて…。

結局、転職と同時に住み慣れた土地に戻っては来たものの
未だにパパの転職を恨んでいる私にとって
鬱々とした辛い日々は続いた

幼い娘の面倒も、食事の世話もほとんど見れず
只一緒にいるだけだった

家事も今にもまして出来なかった
布団だけが私の居場所だった

ある夏の日
ふらっと娘と自転車で近所で買い物をした
いつも通らない道を通った

そして見つけたのが今のマンション
入居してみて分ったが、8階ということで日当たりもよく
外から見えないという安心感も良かった

太陽の恵みは私の鬱を回復させた
施設でも断薬することが出来なかった薬がどんどん減った
1年もしないうちに昼間の薬が無くなり、晩の睡眠剤も処方から消えた
デパスだけで眠れるようになった

今年の夏は鬱々復活気味だったので昼間の薬も
スルピリド50ml
デプロメール25ml
を処方されるようになったが体の病気の退院後
朝夕2回から夕方の1回に減らすことが出来るようになった

 
腸閉塞で入院している時に喫煙所で出会った患者でどこかで見たことがある
しかも1度や2度ではない人がいた
話し掛けてみて、声も聞いたことがある

その時「心療内科に薬を送ってもらうよう電話するんです」
と私が言った
その人は睡眠剤抗鬱剤の名前を
「わしも飲んでるで」「わしはアルコールやけど」
と言った

あ゛゛ーーーっ!!
クリニックで!

どうりでお互い見たことがあると思っていた
娘にも何度も声を掛けてくれ
「○○ちゃーん。かわいいなぁ。」
と頭もなでてくれていた方だった

酒で救急車で入院していた

ある日外出で呑んできた
確実にスリップしていた
レンドルミンもぱくぱくお菓子のように食べていた
「もうあかんわ。死にそうや〜」
「だいたいみな52歳で死ぬ。わし48歳や。もうええわ〜」
と言った

「そんなことしてたらほんまに死にますよ」
「クリニック行ってください」
と心配だった
かつて母にしたのと同じように世話を焼きたくなった

自分の心に
「それは違う」「この人の問題だ」「気づくまで待たなきゃ」
と言い聞かせた

その人は一度は退院したものの通院で点滴を打ちに来た
精神科入院も頭のどこかにあるようだったが
酒がやまらなくなっていた

(続く)