阪神淡路大震災より10年

もうこんなにたったんだなぁ…。
被災者の方々には決して過去のことではないはずだろう

昨年、関西でまた大きな地震があった時あの恐怖が蘇った
うちは兵庫県に近い場所である
当時、数時間の停電と断水も経験した
一人暮らしをしていたこともありとても恐怖だった

「私、死ぬかもしれない…。」
その恐怖感は嘘ではなかった
多くの方の命を奪っていった

 
前日深夜から地震の数時間前まで彼(パパ)とドライブをしていた
三宮も通った、倒れた高速道路の下も通った
そして「明石焼き」を食べ
おっちゃんに「また来るな〜」
と言い帰路に

その数時間後の出来事であった

パパと離れたくなかった私は
「お泊りしよう」と言った
「会社が大変だから帰る」
と頑固に言われ私は一人暮らしの社宅へ
パパは会社へ泊まりに行った

あの時もしも泊まっていたら…。
この世にいなかったかもしれない

神様がまだ生きなさいと言ったのだと思う

 
その後の人生も決して平凡ではなかったけど
私はこうして今も生かされている

昨年は新潟でも国外でも大きな地震が相次いで
未だに混乱している
決して他人事ではない

 
娘が調子が悪い時はお漏らしをする
明け方、泣き声で起こされた
パパが布団も丸洗いしてくれた

それでも断眠したので朝は目覚ましどうりに起きられず
娘も眠くて泣き叫ぶ
脅したり、諭したりでやっと起きたら
大慌てでパンとヨーグルトを食べた
やればできるんやんか
といつものノロノロに苛立ちさえ覚えた
しかし一応褒めて、着替えも手伝ってやった

 
帰宅してからお迎えまで寝ることにした
いつものごとくなかなか寝付けないし、度々起きてしまうが
娘が帰宅してからは寝るまいと寝ておいた

帰宅後娘は一人遊びをしていたのでネットでこれ以上の昼寝防止をし
昨夜の鍋の残りで雑炊も作った

風呂に入り娘が寝る用意が出来た時、パパ帰宅
自分でご飯を加減して作って食べてもらった

 
今日は昨日よりも憂鬱感はマシになっていた
それでも炊事が辛いのでデプロメール
娘の帰宅時間の3時過ぎに飲んでみた
効き目は定かでないけれど

 
明日はクリニックに行かないと薬が足りなくなる
昼寝はなしで過ごしたいものだ

 
先日買った化粧品とサプリメントでバストアップのものがある
出産等で垂れてしぼんだおっぱい
今日から頑張ってみます(照)