カルテ2

結局、どうしても大手企業を辞めると言う旦那

二人とも鬱で娘の面倒が見れないので乳児院に預けていた

 
娘が側にいない事の喪失感も、ものすごいものだった

 
そして自殺決行

未遂と終わり今こうして生きている…。

 
クロスのミーティングで最初の頃は資料を見たりと勉強会もあった

あの数(200錠)では吐いてしまい、死ねない事も知った

 
自殺の覚悟と言うものはODの比ではなかったのに…。

全身がカーッとして怖くて震えた

遺書は薬を飲みながら殴り書きした

 
娘への謝罪だった

 
 
今日また新しい仲間が与えられ過去を振り返り

昨日の事のように思い出す

 
ミーティングでは主に原家族の話しと自分のアディクションについて

語った

テーマが「見捨てられ不安」だった事もある

 
母に見捨てられたら生きて行けないと思いこんでいた

アルコール依存症躁鬱病をもった母に秩序はなかった

それでも親だったのである

 
仲間に借りた本を読み始めた

クラウディア・ブラックの

「子どもを生きればおとなになれる」

である

 
過去の事が更に思い出される

正に私は見捨てられた子供であった

母の生い立ちも考えれば連鎖である

 
そして問題なのは、ボーダーとなってしまった私から娘への連鎖が

始まりつつある事である

 
自分の回復が娘への連鎖を断ち切る

その事は常に忘れてはならないと思った

 
そしてODについて看護長が言っていた

「医療者との信頼関係がなくなってゆく」と

言われるまで気付かなかったのが正直な所である

 
今やアディクションの一環となり、ついスリップしがちな薬だが

自分勝手な行動だったんだと反省する

もうしないとは約束できないけど、止め続ける事が

回復への長い道なんだろう…。

 
今から寝るまでまた続きを読む

過去に腹を立てながら、現在に自責の念を抱きながら

 
今日は気分はよかったが昨日の約束通りパパが夕飯を作った

掃除機は数週間ぶりに朝にできた

少しずつ、少しずつ回復の道目指して…。