愛を知る

私が小学6年の時、母が狂った


裸で歩く、暴言、暴力

頭も丸めカツラをかぶり、脱いでは一般市民をびびらせた

躁鬱病にアルコールが絡んでいるのが分かったのは後7年経ってからだった


アルコール依存症と診断された母

先生に
「毎日通院」

と言われ
「そんな事出来る訳がない」

と言った私に
「やるのはお母さんで、やってみないと分からない」

と言われかなり腹が立った

今まで入院しなきゃ治まらなかった酒を止めれる訳がないと思った

しかし母は短期間だったが毎日通院し
「お酒て怖いなぁ」

の台詞を聞いた事もあった

でも母は繰り返した
 
 
私が独り暮らしをした日から3ヵ月

また断酒した

その後はGWでスリップし躁状態になりまた入院

今では完全に精神も分裂して、両大腿骨を悪くして

車椅子になって死ぬまで病院暮らしだ


二十歳の頃は母の繋がったクリニックの家族教室に通い、

自助グループのACグループにも繋がった

その時に出会った仲間が今でも私の事を気にかけてくれてる

自殺未遂をした後も、カウンセリング施設に入る事を薦めてくれた


3ヵ月の施設入所

断薬も兼ねていたのでリバウンドがきて辛かった

鬱状態も「甘え」と言われ出所する時約束した事は

帰宅してすぐに反故にした


カウンセラーに見捨てられるのが怖くて仲間にも真実を言えなくて…。


すっかりクロスアディクトになった私に今のクリニックで

ミーティングが与えられた

設立して5月で2年になるミーティング

ここでも仲間を与えられた


パパも娘も私を見捨てなかった

医療者も見捨てなかった

何より仲間が見捨てなかった


この事に気づいたのはこの数日

昔からの仲間にメールで私の有り様を告白した

横浜のカウンセラーに知れるのではと恐れた

今となってはもう行く事も出来ないけど


愛は与えられてた

いつでも…。

その愛を知るまでに何年もかかった

一筋の光が鬱を拭って行くように感じるのもこの数日

私も与えられる人になりたいと思った


愛なんて日本人の私は口にするのも照れ臭いけど