アルコホリズムの中を生き抜いて2

(続き)


続きを書くのは止めようと思ったけど、とりあえず


私は今でも乳児院の時の事は感情が麻痺している

子供を手放した

母親としてあるまじき行為をしたからだ

「最低の母親」

と友人の旦那さんに言われた


パパへの恨みは未だに消え失せていない


どうしてそんな人生を辿ったのか!?

アルコール依存症と言う病気が精神(こころ)を蝕んでいった

必死に抵抗して秩序を保とうとしたが事態は悪くなるばかり

私は自分の身と降りかかる狂気を呪った

それはとても根深く巧妙で私の力ではどうする事もできない


横浜のカウンセリング施設に3ヵ月住んで日々棚卸しをした

人生の棚卸しもして、フィードバックも経験した


薬物を3ヵ月で切ること

それも目標に入れられた

不眠、食欲不振、離脱症状…。

もう逃げ出すと決め伝えた

「よく考えなさい。アホ」

関東の人がアホと言う時は関西のそれではなく

正真正銘の馬鹿と言う意味合いらしい

見捨てられるのが怖くて滞在した


まだ娘は幼稚園にも上がっていなかったのでできた事

振り返るのも恐ろしいが恵みもあった

掃除の仕方も学べた

仲間も与えられた

仲間がいなかったら無理な事だ


そんな機会も与えられたのに、私はまたアルコホリズムな生活に戻ってしまった

それからアディクションが表に出てきた

今まで関係嗜癖に酔っていたのにそれだけでは物足りなくなったかのように行動に出た


私は気違いのやり方は知っていた

最初はそれすらもコントロールしながらやった

だが、次第に制御不能になっていった

周りも巻き込んで飲み込んでいった

一番の犠牲者は娘だ


私もよく生き抜いてきたサバイバーだと思う

娘に連鎖しない為に、私自身の行動、態度に責任がある事を学ばせて貰った

後はやるかやらないかだ

子供の成長は待ってくれない