7月20日(金) グループセラピー

テーマ『アルコール症は進行性の病気』
 
 
指名していただいたので話してきた
 
んが、何話したかもう忘れた
 
多分、自分の底つき体験を話したと思う
 
 
アル中とは母のような状態を思い描いていた
 
結局、私も飲み続ければそうなる日も遠くはないのだが
 
目の前にアルコール依存症の末期が居たのでかなり否認が入っていた
 
てか、あのクソババアと同じというのはどうしても認められなかった
 
散々、家族を振り回した母
 
アレと同じとどうして認めたいだろうか?
 
 
それでも、飲み始めの頃から私も恥かしい体験ばかりしていた
 
「女の子であんな状態になったの初めて見たから心配やったわ」
 
と言われた事もうあった
 
私は飲んで寝てしまうことは殆どない
 
薬を一緒に飲んだら寝れるけど、ドイレも近いし、限界まで飲んだら
 
吐き気で寝れない
 
段々目は冴えて次第に感情のコントロールも失う
 
 
AC仲間に初めて紹介してもらった本は
 
クラウディア・ブラック 訳・斎藤学 「私は親のようにならない」
 
ACは皆、そう思って生きていた
 
私も例外ではなかったからお手上げに15年を要した
 
アル中になっていなくても、生き方は同じだった
 
 
私が何故、飲酒暦15年もあるのに末期のアル中になっていないのかは
 
理由がある
 
母のように毎日飲まなかったら、アル中ではないという概念があったからだ
 
だからパパと結婚しても家に買い置きはしなかった
 
パパも実家では毎晩、晩酌をしていたが、私が買い置きを嫌がったので
 
付き合ってくれた
 
そのうち
「別に前ほど欲しいと思わんようになったわ」
 
と言っていた
 
 
酒を飲む時は大抵友達が寄った時
 
後、家庭に入ってからは親友んち
 
娘の夏休み等
 
飲む時はとことん飲むつもりでいるんだから次の日に支障のない時になった
 
それでも、こうやって警戒していたのにもかかわらず私はアル中になった
 
多分、飲み初めからアル中やったんだろう
 
 
ブラックアウトを経験するまで進行しないと認められなかった
 
ジワジワ進行して、その先に失うものの大きさを知っているはずだったのに
 
 
苛々は酩酊欲求に姿を変えていたのでおろさせてもらった
 
仲間の中にいれたことに感謝でした