ホームグループ 1

アラノンACグループに通っていた頃から随分経った
 
あの時のホームグループはもう今は閉鎖されていると噂で聞いた
 
  
横浜のカウンセリング施設に入っていた時、レジデンシャルプログラムの中に
 
自助グループ通いも含まれていた
 
状態の悪かった私は何度も休んだけど、施設の仲間と一緒に通った
 
あの頃既にアルコールの乱用はしていたのでカルテにも書かれていた
 
だから私はカウンセラーにどちらのグループに行けばいいかを聞いた
 
「貴女の場合はACグループに行きなさい」
 
そこには関西から回復の場所を横浜に移した仲間がたくさんいた
 
再会できてとても嬉しかった
 
皆、子供時代からの不全感を抱えながらも自分のできる精一杯のことを
 
して、回復のプログラムに取り組んでいた
 
 
私の入ったカウンセリング施設は12ステッププログラムを使っている
 
施設だった
 
AAとアラノンを日本に持ち帰った人物がカウンセリング会社を興した
 
そう仲間から聞いたことがある
 
  
入所中は毎日が棚卸の日々だった
 
早朝から掃除、プログラム、体力作り、フェローシップ
  
元気な人でもハードだった
 
私は大鬱状態でそこに入った
 
「貴女の鬱は甘え」
 
と言われ、しんどかった
 
薬の離脱とも格闘していたのでほんまにしんどかった
 
あの日々をきちんと振り返る事は未だに出来ていないけど
 
あの日々も決して無駄ではなかったと思えるようになった
 
 
私の主治医はその施設についてはわけあって、あまり賛成されなかった
 
のを押し切って行って来た
 
それでも帰ってきた私を先生は受け入れてくれた
 
  
それからも私の状態は問題行動が増えていく一方で、昔、先生に
「貴女は大丈夫だよ。お母さんみたいにはならないよ」
 
と言う言葉をいただいたのに見事に期待を裏切る患者になった
 
この言葉は2回目の診察でもらった言葉だった
 
 
まず2回目の診察までに2日くらいしか日にちが開いてなかったと思う
 
先生は
「また来たの!?」
 
と私に言った
 
きちゃいかんのか!?
 
と正直思った
 
私が見つけたい答えが見つかるまで私は通うつもりでいたから
 
 
(続く)