10月28日(日)CoDAと私、怒ってます! 3

(続き)
 
 
高校時代、自分が望んだ普通高校受験に母親に反対されて受験を諦め
 
受かったのは商業科
 
「こんな学校一回でも休んだら行く気なくすから一日も休まんとく」
 
と私は三年皆勤を狙った
 
熱が出ても休まなかった
 
でも、腹の調子はいつも悪く度々授業中に保健室を利用するはめになっていた
 
母の精神病は進行して入退院の繰り返しが激しくなり出した頃だった
 
欠課がつかないように授業が始まってしばらく我慢してから保健室で寝ていたのだが
 
1時限だけ先生の基準が厳しかったようで欠課になってしまったのを知ったのは
 
学期末だった
 
 
そんな綱渡りをしながら狙っていた皆勤だったが、母に家を追い出されていた私は
 
数ヶ月単位で親友んちでお世話になっていた
 
ここも母子家庭だったしママの世話好きな人柄で随分助けてもらっていた
 
それなのに愚痴るのもどうかと思うけどしんどいことも多いのだ
 
 
ママがまだ働いていた時は親友との時間はたくさんあったけど
 
ママが家に入って親友が働くようになってからはママの子供に対する束縛が
 
もの凄く現れるようになった
 
いつだったか厄神さんに親友と2人で出かけたら思いっきり機嫌が悪く
 
嫌味も言われた
 
共依存じゃないん?てくらいの電話もかかってくる
 
私は酔っ払っててもママの顔色を伺って、普段言えない感謝の言葉を
 
言ったりしていた
 
んで泣きの酒をやっていた
 
 
話がまた脱線した…。
 
そんな高校時代のテストの日、ママが車で送ってやると言い出した
 
私は時間がやばくて冷や冷やするのが嫌だったから断ったけど
 
ママの押しに負けてしまった
 
冷や冷やする時間帯に学校に近づくも交差点で信号待ちしていてエンスト
 
古い軽自動車でクーラーつけていたから
 
「お前ら降りて押せ!」
 
に『ほんまかいな!?学校間に合わん。皆勤が飛ぶーーーっ!!』
 
と心の中で絶叫して泣いた
 
 
(続く)