雉(キジ)の剥製 3
(続き)
それでも離婚して間なしの頃は父と面会出来る時が嬉しく楽しみだった
父から電話があり約束すると弟とふたり無邪気に喜んだ
大和川で遊んでびしょびしょになって
普段出来ないことも出来て面白かった
PLの塔が大和川から見えた
行ってみようと言うことになり、それからは遊園地で
遊ぶことも増えた
神社で蝉取りもした
帰宅すると母は決まって機嫌が悪かった
ある程度大きくなった時、母にそのことを問い詰めた
「何でいつも帰ってきたら機嫌悪いんよ」
「私らがお父ちゃんと会うのが嫌なんか!?」
母が妬く理由がわからなかった
母は痛いところを突っ込まれたと言うようなばつの悪い顔をしてから
「だってあいつは、たまに会って『お父ちゃん』父親ですって顔をする」
「普段面倒見てるんは誰や」
と
母はすねてるんだと思った
それと同時に、母が言うことも理解出来てしまった
確かに普段面倒を見てくれてるのは母だった
母が嫌がるなら会わない方がいいのかも知れないと思った
母の気持ちを考えると会わない方がいい
でも父も恋しい
葛藤した
大きくなってからも父に対する怒りを持っていた
母が言う父親像を自分の始めからの父親像と思った
これは結婚してすぐの横浜でのワークショップまで続いた
あの時、カウンセラーから言われたのは
母からの刷り込みだった
「あなたの母親はネガティブマザーの典型だ」
と
本当の父はどうなのか分からない
母や祖母が言う父は確かに当たってると思う
父の継母は死ぬまで泣かされていた
でも、母や母方の祖母からの刷り込みには
『父親は私たちを愛してない』
と言うメッセージが含まれていた
そうじゃなかったことをワークで知った
変わりに母は私たちを利用して
自分の負の感情を吐き捨てた
私と弟を父への恨みのゴミ箱に使ったのだ
からくりが見えた時怒りが爆発した
でもその大きな嘆きの後に癒やしがきた
それでもまだ母を恨んでいる私がいる
あの時、許せたはずだったのに
(続く)