酒への捉われ

アルコールに対して無力を認めてから1年

たまに飲酒欲求が湧くもやり過ごしてきた

しかしここへ来てややこしい感情が


『飲んだろか』

と言う気持ちにかられる

仲間に言わせればきっとAAを休んでるからと言われるだろう

もしかしたらそうかも知れない

でも、なんとなく違う感じもする


AAに行ってもACの顔が出てしんどかったこと、しばしば

それだけでなく疎外感

私は連続飲酒の苦しみは分からない

じゃ、連続飲酒になれば仲間になれるのか!?

そんな中、スポンサーへの反感

何かにつけ「飲むよ」と忠告されることが嫌でたまらない

母のことが今、思い出されて仕方ない

『私はあんな飲んだくれじゃない』

『あんな飲んだくれにはなるもんか』

などなど

違い探しをしてる

アルコールアレルギーに変わりはないのに

ただの身体依存の深度の『差』だけなのに


仲間になれると言う訳の分からない理由付けで

飲むと言う考えが頭に浮かぶが

突き詰めたら『否認』が頭をもたげてるだけなのかも知れない


でも、あんな絶望感でアル中だと認めて酒を手放した

アレを忘れた訳ではない

では、何故か?


やはり違い探しなんだろう

母に凄く怒ってて、その母がやったように

「飲むよ」

と言われることが許せないんだろう

確かに今まで、当てつけに酒も使ってきた

ただ、他の依存があったので、何かあって飲むと言う感覚が

分からない

自分の頭の中で薬に置き換えたり、自傷に置き換えたりすれば

いいことなのかも知れない

でも、それが出来ず反応してるのは

やはり母と同じと言うのが許せないんだと思う


グリーフワークが済めばまた変わってくるのかもしれない

あぁ、ややこしい

だからクロスアディクションは、ボーダーは厄介なんだ

自分でも区別出来ない

仲間が区別出来ないのも仕方ないのかなぁ


とある仲間にはスポンサーに対する反感も伝える方がいいと言われた

きっと「伝えてくれてありがとう」と言う反感が返ってくるよと

伝える

これは私の課題だな