感謝の足りない私

さっきふと思った

私は今日一日のソーバーとクリーンに感謝しているだろうか?と

してないな…。

どこかで
「飲まないのは当たり前」
「使わないのも当たり前」

という頭がある

けれど、AA流に物事を考えると

これらは自分の力で得たものではなく

与えられたものであるということ


そう考えると私はなんと感謝の少なく足りない人間かと思った

不平不満はたくさんあって

それにばかり目が向く

数日読んでなかったアラノンのAC版今日一日である

『希望』を読んだら12日のところにまさしくそれが書かれていた

恵みのリストについて


今日一日こうやってアルコールも薬物も使わずに

自傷もせずいられたことは

与えられたものであるということ

更には生かされていること

痛みは体も心もたくさんあるけど

恵みもたくさんあるのだ


それに気付けた今日はまたこれ、よき日ではないか?


ということで、形からでも感謝をしてみようと思った

そういや、形からでもとカウンセリング施設にいた3ヵ月は

毎日『感謝グループ』があったなぁ

思いつく限りの感謝を口にするのだ
「食事を与えられたことに感謝します」
「仲間といられることに感謝します」
「太陽の恵みに感謝します」
「住む場所があることに感謝します」
「今日一日生かされたことに感謝します」



祈りと黙想のステップ11の実践は簡単なようで難しく

結局避けてきたが

形からでも『感謝』するということから入ってみようか

しかし、黙想は難しい

何を思えばいいのやら…だ


今日一日のソブラエティとクリーンに感謝します


しかし、またまた過去も出てきた

なのでそれはそれで愚痴吐き兼ねて卸すことにする

つか、しんどいんです



あんまり思い出したくないんです

でも、元スポンサーにもらった言葉に感謝して

今はグリーフワークをやろうかな

「過去の出来事は変えられないけど、ものの見方は変わってくるから」

ありがとう