今日の学び 1

今日はクロスに参加させてもらった

皆しんどい状況にあるのか仲間は私を入れて3人

ほんまにすんなり回復の道を歩けない病気だと

周りを見てもつくづく思う


ここのところの近況を話させてもらい

後、それに対する自分の心の動き

話させてもらうことでもう一度整理と自分に言い聞かせ

しかしミーティングには慣れてると言っても自分の弱さを

認めた上でさらけ出すのはやはりしんどい

傲慢さや人間としての器の小ささ

この歳になってても分からない感覚

ほんま恥ずかしいし情けない

私はここにもアホみたいに全部書いてる露出狂でもあるが

今まで認められなかった部分を話すのはやはり恥ずかしいと言う

羞恥心もあったりする

当たり前なんだろうけど

「ストリッパーになる必要はない」

と自助の仲間は言ってたっけ


んで看護長のお話も久しぶりに聞かせてもらえた

その後雑談に入りいろんな話をする中で

ひとつ学ばせてもらった

次々と問題が起きると言うか、抱え込むと言う言葉を受けて

今年上半期を振り返ってもそうだったわと思う

んで叔父の躁転した時の話になり

私は今、奇跡的に叔父が入院もなく落ち着いたと思ってたが

奇跡でもなんでもなかった

看護長は私に入院はしなくて済むかも知れないと言った時

私は頑として撥ね付けた

その話で私は今回も何故そう思ったか言った

「この20年以上の間、全て入院したから」

看護長にすぐさま言われた

「30年以上医療やっててこの程度の患者さんは入院なくてもよかった」

みたいなこと

まず、はっとしたのは

私は母と叔父の2件のケースしかしらないこと

看護長は何百何千と言うケースを見てきたことの違い

後、決定的に学びや〜と思ったのは

「あの年齢」

と言うこと

そう

叔父も歳を取ったのだ

若い時みたいにいくら躁でも体力がないのだ

これはデカい

だからもう今までがそうだったから、こうなると言う図式は

必ずしも当てはまらないのだ

それは今後の自分の叔父に対する関わり方に余裕が出るかも知れない


(続く)