少ない脳みそでも

少ない脳みそでも、これでもいろいろ考えているのだ


さっきふと気付いたのは

以前の私なら
「パパが、祖母が、母が…。」

止まりだったよなぁってこと

今も愚痴るし、ぼやくし、他人のせいにするし

でも頭で他者は変えられないってのを

ほんの少しだけ腹でも理解しているような気もする

この前の祖母との電話がいい例で

祖母はああいうことを言う人だと電話する前に気付いていた

それにそんな祖母にやはり、ああいうことを言われて

腹も立ち、悲しくもあったし情けなかったが

それでもそれに自分から飛び込んだ私がバカだったとも思えた

更にパワーアップしたなぁと思えたのは

今までの私なら
「傷つけられて当然の私」

ってのがいてた

私が悪いから傷つけられて当然なのだ

とか

私なんて

と言うひねくれた気持ちしか湧かなかった

それがまぁ、進歩したではないか!

傷つけられて当然なわけないし

わざわざ傷つけられるようなところは避ければいいのだと思えた

なんか説明難しいんだが


勿論、『私なんて』ってのはまだまだ、まだまだある

あるけど、『私でも』に変わってる?

石の上にも3年と言うが

クリニックのクロスに参加させてもらってからは3年が過ぎた

途中の休憩を勘定から抜いてももう3年

いろんな方から力もらってきたんだなぁ

とつくづく思う

感謝だなぁと


前ワーカーに後押しされて自助にも通い始めた

これもあの時はまだダメだと言われたとしか受け取れなくて

大泣きした

大泣きしたが看護長に後押しってことだとワーカーの意図を教えてもらい

勇気を出してみたらまた通えるようになった

アラノンACに通えなくなった前歴があったので

ほんまに自助に行くにはそれなりに勇気も行ったのだ


でも自助に行けばたくさんの先行く仲間がいて

いろんな方向性を示してもらえた

ほんまに自助って感じもあって救われている


あ。べーちゃん寝屁こいた(笑)


勿論、クリニックのクロスにもたくさん助けられている

クロスの仲間がいなければ今の私もなかっただろう


後は踏めてるか謎のステップだな

手探りやけど意識して実践だな

あぁ、皆に感謝