嫁姑戦争、終戦? 3

(続き)


まだまだ鬱

2年どっぷり大鬱


浮上し過ぎなくらい浮上

要は軽躁状態

そういや先生にも言われてた


昨年、パパまた鬱再発

撃沈を避け親に掛け合わず放置

パパ自ら受診

ギャンブルに明け暮れるパパに堪忍袋の緒が切れる

別居


昨年暮れ

ギャンブル問題一応の終息の兆し

暢気に別居生活を続けて様子見しながら

私は自分の足で立つ為の半年にしよう

お金が底をつくのが早ければ

少し早めに戻る

パパが帰ってきていいよと言えばの話だがと


そして火曜日

現在に至る


昨夜ブチ切れたのは結局、会長がふっかけただけで

パパが疑問を抱いた通り給料カットだけの話だった

けど、会長はあまりにやり過ぎた

やってはいけないことをやった

私達の生活、生き死ににも匹敵する家計の元になる給料を握ってる経営者が

ふっかけたのだから

こんな風に振り回されては誰でも黙ってないだろう


それから過去の恨みだけでなく、今までのことを思い出す

パパの病気の度にも仕事、仕事

火曜日にパパにも言ってやったが
「社長って名前つけたけど名前だけ」
「兵隊扱いやん」
「蟻んこやん」

実際、パパは母親から以前聞いた
「もう全部任せてやったら?」

の義母の答えに会長は
「そんなもん任せたら3ヶ月で潰れるわ」

最初から譲る気なんて皆目ないのだ

今回も会社を閉める気なんてさらさらなかった


8年前に転職する時、鼻先にニンジンをぶら下げた

「5年経ったら社長にしたる」

私は
「自分の作ったもんを簡単に人にくれる訳がない」
「しかもあんたとは血の繋がりもない」

と反対したが聞く耳持たなかった

それがやっぱりそうだと

この2年で分かった

それもあったからこそ、転職も覚悟したのだ

どちらにせよ、会長の家からの持ち出しは
「もうしばらく」

とこれまた曖昧な返事

そんな博打に変わりないこと付き合えない

それにもう、あの親とは付き合えない


二十歳でパパと付き合い初めて

大阪の家にも泊まるようになった

パパと少しでも一緒に居たかったから


(続く)