嫁姑戦争、終戦? 5

(続き)


けど、義母も孫を見たいだろう

パパも親に孫を見せたいだろう

そう思って、私は行かなかったがパパ達だけで会ってもらっていた

それからパパがイジメにあい実母に頼った

私は情けをかけたことを後悔した


それからも奈良の親のことでは殆ど揉めたことがないのに

大阪の親のことでは揉めた

昨日やっと分かったが

会社が同じで給料をもらっているだけに頭が上がらず

適度な距離が保ててなかったからだ

しかも見えにくかったのは

物を買ってくれたり、食事に連れて行ってもらったり

娘を預かってもらったりと

よくしてもらったこともたくさんあったから

けど、揉めたのも事実なのだ

距離が近すぎた


結局、度々振り回されてきたと気がついたのだ

15年経ってやっと


若かったから見えてなかったものが

三十路半ばになり見えてきた

パパも私も

見えてもパパは今日のメールにもあったが

「あれでも親や」

それでも、よくしてもらったことには感謝だけど

振り回されていいことの理由にはならない


今回、この時期に分かって良かった

ハイヤーパワーだと信じられる

宗教は信じてないが、自分なりに理解した神はいる


私はもうこれ以上、不健康な人間関係は続けられない

笑顔で居るのが娘にとって一番だし

私とて、こんなちゃぶ台返しをしてしまって

もう会えないのは少し悲しい

恨みがあっても


二十歳の時に
「自分の体は自分で守りや」

と言われた話もココにも書いたが

今まではパパが守ってくれないことに腹を立て

親が居るからいいよなと僻んできた

でも自分を守れるのは自分だけ

だからパパを切り捨てようとも守ることにした

でなきゃ娘を守れないから


結果として、パパは会長にも伝えたと夜にメールがきた
「続けるなら離婚と言われてる」
「離婚は選択肢にない」
「転職も覚悟してる」

一応、はっきり私と娘を選んだとは言わないが

私と娘を選んでくれたみたい


その後からのメールに
「思い出した」
「娘がいたから自殺しなかった、娘に救われてきた」
「家族だけが鬱の時も味方やった」




(続く)