生きてていいんやで 1

これは自殺未遂して退院した直後にもらった言葉

19歳の時にたまたま母の担当になった保健所の精神保健相談員の方

そして母が繋がったアルコール医療のワーカー

二人からもらった言葉


こないだこの元保健所の方にも電話をさせてもらった

依存しようとしたらバッサリだけど

ある程度の距離感さえ保てていれば

電話は受けてくださる

援助者としてのアラノンメンバーでもある

だから救われてきた

プログラムを伝えてくれたのはこの方だった

結局、私はACで留まることはできずアディクション持ちにはなったけど

でもだからこそ本気で生き方を変えなきゃ生き延びれないと思えた

依存症になって良かったとは思えないけど

それがなければ今もない


何度かこの方に伝えられたのは

私がこうして生きていることで学ばせてもらったということ

持ち上げてくれるのは恥ずかしいくらいだが

なんかそうだと仰る

普通、援助職の方はあまり言わないだろうこと

だからこそ、その言葉は『生きてていいんやで』

と聞こえてくる


アルコールの家庭はどこも地獄

何もうちだけ特別じゃない

ただ、うちが3本の指に入るくらい酷かったと言うのはきっと

片親、しかも母親がアルコール依存症だったから

イネイブリングして家を綺麗に保つ人が居なかったから

だと思う

どこも同じ

逆にイネイブリングする配偶者がいる家庭の方が本当は地獄なのかもとも思う


ただ、初めてうちの実家に来た時に

私と弟が少し離れたところにいたが

人を信用しない目をしていたそうだ

それもそのはず

私は保健所の人をバカにしていた

その方の前担当者は母に説教されて泣いていた

若い方だった

結局、いくら訪問してくれても何も私らは救われないと

弟と二人話していた

ところが、何か今回は様子が違う

それはプログラムの原理を知っている方だったから

自分の力で出来ること

やってはいけないことの線引きが出来る方だったから

だから二十歳の時に家を出る提案に乗った

他の援助職の方から見たら今電話するのは依存だと言われるかも知れないが

あの頃の私も知っててくださる方がいることは救いである


続く