安心して眠れることの大切さ 3

(続き)


叔父ともそんないきさつで喧嘩してしまい

それからは連絡も出来ずにいた

母は早く退院したからすぐに酒浸り

それがアルコール依存症だから仕方ない

また夜中に追い出される日々で仕事もあるのに参っていた


弟と二人交番に行って、備えつけの電話から本署にかけた

まだ未成年だと伝えて事情を話して

パトカーで迎えにきてもらった

本署の受付前のソファーと毛布を貸してくれたから

そこで二人仮眠した

ポリさんには
「これからは喧嘩しててもまず身内に言いなさい」

と当然言われた

『結局誰も助けてくれない』

その思いは今思えば見捨てられ不安になるんだろう


そんな場所で安眠も出来よう訳もなく

早朝には目が覚めたからタクシーを拾ってとりあえず自宅へ帰った

母は何処かに行って居なかったから

これ幸いとシャワーを浴びて会社に行く用意をした

弟はその時どうしていたか覚えてもいないが

高校もろくに行ってなかったから学校は多分休んでいたはず

何回かここにも書いたけど

娘との話しで久しぶりに思い出した

子会社のオッサンのことまで


6年生の入院から20歳で家を出るまでの8年間

母が躁転する度にそんな思いばかりだった

まだ親友んちにも逃げられていたから何とかなってきたんだと思う

ママも女手ひとつで貧乏しながら、昼も夜も働いて

他人の子供まで面倒を見てくれた

それでもママも引退してからはしんどい存在になっていった

感謝していても

これも親に対する反抗心みたいなもんなのかも知れない

未だに誰かに私を紹介する時は
「オレの3番目の娘」

と言う

私が一番歳は食ってても

親友は早行きだから

結婚してからママに恩返しをといつも思ってきた

けど、自分の酒が進んで迷惑かけるばかりになった

元気になったらなったで

親友とも思うところあったりで

今は殆ど行ってない

また落ち着いたら顔を出そう


長い年月そんな繰り返しだったと改めて思って

そら寝るのが下手でも仕方ないかと思った

娘には全部話す訳もないが

寝なかったらかぁちゃんみたいにおかしくなるとだけ言っておいた


(続く)