どうすりゃよかったんだろう? 1

共依存を止めようにもACでもある私にはわからない

いったい何が対等な人間関係なのか?

支配するかされるか

どっちかしかなかった

そんなものにさえ気がつかない子供のうちから

母との関係ではそうだった


親が離婚して友達の家に預けられた

近かったからうちで泊まってくれることもよくあった

母が遅くなっても帰宅する日?は

ご飯だけよばれて、遊んでから弟と二人で家で母の帰りを待った


母は大抵、ベロベロのヘベレケ

家の裏側は屋根付きガレージの路地だったが

うちはそこもひとつ借りて改造して

父がいた頃は事務所に使ってた

玄関側は普通の長家でタクシーも入れないこともないが入れない

いろんな家が植木なども置いてたから

だから母はガレージ側の家の前までタクシーをつけて

あの頃は更にその隣のガレージも借りて子供部屋にしていた

子供部屋の上がり口で倒れ込む母を

弟と泣きながら重たい母を引きずった

「こんなとこで寝たらあかん!風邪引くやんか〜!起きて〜!」

友達が居てくれる日は笑いながら引きずれたが

弟と二人は心ぼそかった

祖父母もいつも大阪にいた訳ではなくて

岡山の島に畑の世話に帰ってる時期もあった

小学2年か3年と

更に3つ年下の弟と夜中まで二人きりだけでも怖いのに

帰ってきた母は正体不明

その母を布団へ入れる行動が共依存だと

教えてくれる知識のある大人どころか

私たちの代わりになって母を引きずってくれる大人なんかいやしなかった


弟の靴も一緒に洗えば近所の人さえも誉めてくれた

「小さいお母さんみたいやね」

と誉められりゃ、人のことをすると見返りがもらえるんだと学んだ

それも大人になるに従って過剰になって、病的になってったなんて

知る由もなく

今更、共依存

支配者と言われたってなぁ


共依存者はやりたくてやってると言われるが

やりたくてって無意識やし

機能家庭の常識なんて知らないもの

学ぶ機会がなかったのに

発展途上国の人には学ぶ機会がなくて可哀想と言葉を向けても

共依存者には学ぶ機会がなくて可哀想とはならない

今から学べと言われる


続く