頑張ってる私の体 3

続き


親が離婚して少ししてから、母が障害者手帳を交付申請してくれた

それまでは必要ないと誰が決めてたのか知らないが、申請もしなかったそうな

母子家庭だし、いろんな控除の都合も勿論あっただろうが

身体障害者手帳は必要だし、もらってくれておいて良かった


離婚したすぐくらいか?

長居公園まで何回か連れて行かれたことがある

身体障害者の子供がたくさん来ていた

私なんか大した障害でなく、腕が肘から片方ない子もいた

何やらそこにいた偉いだろう大人達の前で、服のボタンの開け閉めとかやらされているのを覚えてる

私も両手に真っ黒なインクを塗って、手形とられた

子供のことなので休憩時間かもしくは終わってから外で遊んだ

フェンスによじ登っても遊んだ

私は高い所はバカな癖に苦手で、でも置いてかれたくなくて

怖かったけど一生懸命ついて行った

ここの待合室の円になってた椅子の真ん中

オブジェみたいに下に行く程すぼんだパイプがあり

やんちゃだった私はそのパイプによじ登って、下に下がった時に膝がはまり

抜けなくなって騒いだ

その日は祖母もいて、祖母も昔人間だからか田舎もんだからか乱暴に引き抜かれ

私の膝は打ち身と皮が少し剥けた

アホなガキンチョ

あれはかなり懲りた


何回?行ったか正確には忘れてしまったが、恐らく2回で行かなくなった

母に何故かある時尋ねたら
「あんたには必要ないから」

とか

機能の発達についての相談する集まりだったんかなぁ?

未だに謎

ちゅうか、忘れてたし

私はまたあの子達とも遊びたくもあったけど、やっぱり行くのは面倒だったし

幼なじみはたくさんいたから、次第に忘れていった


母もまともだった時には、私の将来をいろいろ心配したんだよな

祖父母も叔父も、父も

でも自分的には機能的には苦労した覚えがなくて、大人になって聞かされるまで知らずにいた

見てくれだけにコンプレックスはあったけど

聞かされても、身内が何故そこまで生まれた時から悲観したのか理解出来なかったし


まぁ私の体は欠陥もたくさんあるが、それなりに頑張ってくれている

お母ちゃんもだから気に病むな

気に病まれる方が不幸だから