さて

また仲間に電話した

昨日は電話に出られなかった仲間


母に一度「その話しは嫌」と言って立ち去ってみたら?の提案

ただ、仲間にも言ったが、私は母の躁転が怖い

やっと転院も出来て落ち着いてきた

ホスピスの面談も一通り終わり、2ヶ所はベッド待ち状態にこぎつけた

告知の問題は残っているが、それもホスピスの医師が今まで私が悩みつつも

通してきた考えの後押しをしてくれ、成り行き任せとなった

ここまできて躁転は厳し過ぎる

出来ることならばこのまま穏やかにいて欲しい

なので、そう言う自分の思いを伝えてみることすら怖い

だいたい、文句が出始めたこと自体、もしかしたら予兆ではないか?

その懸念すら少し感じたり

2日放置したから、やはり頑張って顔出しもしたのはその部分もあったからだ

いらぬ物を持ってったことでのことだけならよいのだが


とはいえ

躁転する時は躁転する

これももう、神さまの意志なら仕方ない

最期の総大成ってことだろう

イベントだイベント

母と私の闘いの日々の再現

その中で今までに見えなかったものが

今の私には見えるかも知れない

もしも躁転したならば、苦しいけれどそれもまた学びなんだろう

その覚悟もしてはいる

だからといって、母を不安定にする可能性のあるストレスを

わざわざかけるリスクを負うのはやはり怖い

なんと言っても「願わくば」なのだから


母は統合失調症アルコール依存症だけでなく、やはり霊的にも病んでいる

滋賀の叔父のみならず、自助でも言われる「感謝」

ああいう生活を長年してるし、いろんな病気や痛みもあるし

仕方ないが『やってもらって当たり前』な部分も多分にある

病院の職員さんには丁寧にお礼を言っているが

私には段々、要求が増えている

こちらが疲れてきているから、そう感じてるのもあるが


行って荷物を卸しきらないうちから、何か頼まれることや

せっかく持ってったストローのヤクルトが飲みにくいとか

甘えてるんだろうけども、私だって甘えたい

甘えたかった

入院しては自宅に居なかった昔にも


仲間に共感をもらえた

それが今の落ち着きになっている

ただ、それでも悲しいけれど

続く