腰が痛い 2

続き


私の期待は何回も書いてるが

『母に喜んでもらえるかな?』

とか
『私の話しも出来るかな?』

とか、普通なら当たり前なレベル

それすらことごとく、ダメだから、失望絶望って感じで

酷く落ち込んでいた


父も義理の叔母に実家を追い出されたと恨み節を私に言ったが

血の繋がりもない母親に、甘えまくって

死の間際まで借金問題で泣かせた

そんな自分の行いが、養子縁組みもしてもらえず
(しかも父は知らないが故意に)

財産相続権もなく、祖母の妹が相続した

相続したと言ってもきっと、父が散財したからもうさすがに残ってないと言っていたので

残ってたのは実家のみ

それを売るから追い出されたと恨んでいる

これを逆恨みと言うんだが、本人は何も悪いことをしてないと思い込んでいるから始末が悪い

母も父も、似たもの夫婦だったのだ

そんな間の子である私は、酒だけでなく性格の悪さもサラブレッド

あぁ、ほんと自殺したくなる

まだ、この人達より自殺したくなる気持ちを持てただけマシだと思いたい

やってることは同じだから、周りにすりゃマシもクソもないんだが


今までの記憶の全てがなくなればいいのにな

自分の存在も消滅してさ

後何年生きてくのか知らないけども

もう喪失感ばかり抱えたくもないし

物の見方を変えられたなら、喪失ばかりでないことも知れるけど

一旦そういう嘆きはまた通らなきゃならないわけで

そんな作業はもう疲れた

世間の大半の人達は、喪失体験もこんな何回もしてるか謎だし

嘆きの作業をしないと前に進めないとかも

そんなにたいそうに生きてるように見えない

手放したら楽になるこの手の思いも

私もまだ少しは若さが残ってるのか

なかなか手放せずにいる


母もある意味、病気の犠牲者だ

子供には家を出て行かれるわ

入院中に骨折したことで15年も車椅子

そして放置されて末期がん

まさか自分や親がこんな人生を歩むとは、家を出た二十歳の頃には思いもしなかった

いつか回復して笑って暮らせる

そう信じて環境を変えることが大の苦手な私が家を出た

夢のままだったわ

私は今でも空っぽだ