言葉の引き出し 3

続き


ある程度のおおざっぱな感情は怒り以外先に書いたように少しは分かる

まだまだ咄嗟は全て怒りだけども

今起こっている感情に留まって味わうってことは

ACグループやカウンセリング施設でも聞いてきたが

やり方がわからないだけでなく、やっぱり処理能力に欠けるから

無意識に避けてきたのもある

避けてきたから今尚出来ない

ただ、今までは怖すぎたし、痛すぎて到底直視なんか出来なかった

今ならできるか?と言えば、『わからない』

ブレは必ずくるだろうし

でも、ちょっとだけ経験したことがある

ひとりで無理でも二人なら何とかなる

など

一昨年の夏にワーカーに母の初めての入院までのことを話しさせてもらったが、痛かったけど

死なないもんだとはわかったから

それだけ分かれば何とかなるんだろう

ちょっといい加減に(と言うのもまたおかしな表現だが)捉えられるようにしてもらえたのだ

ただ話せてスッキリを得ただけでなかった

ここにきてそれにも気づかせてもらっている


そんなわけで、ひとつひとつの感情に留まって味わう作業を始めは意識していかないと出来ない

今日も旦那との喧嘩で、旦那が出て行ってから味わってみた

深いところまでは探れなかった

やっぱり怖いから逃げたのだ

でもまだやってやろうと決めたばかり

最初ならこんなもんだろくらいに捉えている


出てきたザワザワはザワザワいうくらいだし「不安」

また先月みたいな怪我するか?

とか

言ってることがわかってもらえないのは自分に問題がある?と考える不安

後も気まずくなる不安

悔しさ

分かれよ!みたいな怒りに似た悔しさ

自分に問題があると考えてしまうなら尚更

自分だけが悪いのか!?みたいな悔しさ

思ってることをうまく表出出来ない自分に対する悔しさ


悲しみ

ほんとは仲良く、一緒にあれこれ話しながら分担して作ってみたいのにいつも出来ない悲しさ


まだこのくらいか

これが喧嘩中だから相手に投げたボールはキャッチボールにはならず

ドッヂボールなわけで…。

旦那には悪いがしばらくは感情を味わうための練習台になってもらうしかないかな?

とか今思った


続く