言葉の引き出し 4

続き


このタイトルでも既に4つ目

これだけ書き留めておくにはそれなりに気合いもいる

金曜日のことなのにそのパワーすらなかったんだよな

長々と書くしかまだ出来ないし

とにかく思考があちこち飛ぶから


怒りは相手のせいにできやすいが

その他の感情ってのは自分のせいというのか自分のものだから、留まってしまうと痛いもんだ

悲しさや悔しさや不安を味わうのはその場だけで充分って感じ

だけどすぐに振り返ってまた追体験するわけで

フラッシュバックほどデカくもないが、痛いもんは痛い

だけど、ワーカーさんが教えてくれたように、マイナス感情ひとくくりならデカ過ぎて手に負えないが

淋しいだけなら?

悲しいだけなら?

対処していけるんかもって気には、なんとなくなる

できるならこんな作業をいちいちやりたくない

怠惰だし

何より痛いのは本能的に嫌だから

かといって、今のままでもしんどいし苦しかったわけで

そしたらちょっと先の作業にもそろそろ取り組んでいく時期なんだろう

多分、それがちっとも出来そうになかったら?

そんなアドバイスはしなかっただろうから


「今までそういった感情を感じても、表現する機会がなく育ったので仕方ない」

とも言われた

確かに怒りで跳ね返してたら何とかなった経験だけはあったから

仕舞いにわからなくなったんだろう

だからニュース見ても映画見ても、今日でもそうだがバレエのレッスンを見ても

涙が出そうなのをこらえなきゃならないくらいに、こみ上げるものはあるんだが

ただ『何かに感動した』しかないわけで

その『感動』が痛ましいのか悲しいのか、嬉しいとか綺麗とかが

その時なんとなくはわかっても、ほんとのところよくわからなかったりするわけで

なんでか事件のニュースでも、思い出すだけでもぐちゃぐちゃになることもある

これ、結構困る

会社とかでが一番困るし


全てにおいて大袈裟になるのも、極端になるのも

ひとくくりにした感情がデカいからだそうな

ただ、母の付き添いでフラッシュバックしてダメージ受けたりしたのも

感情の大きさからすれば当たり前な大きさだそうな


もうちょい続く