過去に生きる 2

続き


母が右大腿骨骨頭壊死になったのは45歳

あの初めての精神科入院から退院してしばらくしてから、診断された

あの時の話しにも私と弟は酷く辛い想いをしたが、これ書いたらかなり脱線するからまたにする


そんで骨折したのは皮肉にも左大腿骨だった

右は壊死が小康状態だから様子を見ていた

10年以上手術もせずにどうにかいたのだ

なのに骨折って…。

まだまだ言葉も感情の名前もわからないから

『絶望』しか表現が思いつかない

とにかく入院させなきゃならない自分を責めたし

母も責めた

酒止めてまともになったらこんなことにならんかったのに!って

そして病院にも怒り

んで撃沈したへたれな自分を益々責めた


右大腿骨のことでかかっていた大学病院に行った

そしたらそこでなくてナンバに近い場所の病院を紹介された

会社からもバス1本だったし、見舞いにはいきやすかった

この入院の時だったっけ?

その後の骨折でまた他の病院で手術したが、経過が悪くてやり直しにまたこの病院に入院した時だったっけ?

もうあちこち入退院ばかりなので思い出せない

調べりゃわかるがまぁいいわ

母の病室のテレビでは横山やすしの葬儀の報道がされていた

アル中の結末なんだと、かなり複雑な気持ちだった


私が結婚したのが平成8年

ナンバでも買い物しながら結婚の準備して、見舞いもしてた


結婚の1ヶ月ちょっと前にこの病院も半年を越えてお払い箱

そして小さな病院の看護が不満だったか大躁転

もう海外逃亡な挙式もキャンセルかと泣くはめになった

どうにか精神科に入れたから行ったんだけど

そらもう気が気じゃなかったし

自分の不幸に酔いしれたわ


力のあるものに逆らえない

自分は無力なのを認めず、怒りで誇大表現して威嚇しか生きる方法がなかった

後は哀れんでもらって泣き落としね

罪悪感も勿論あったが、そうでもしなきゃ周りも許してくれなかったもんなぁ


今の病院はとてもよくしてくださっている

ワーカーも看護スタッフも

だけど精神病がある患者に無闇に抗うつ剤を使って妄想を活発化させた

それに対して何も言えない


続く