飲み込まれる怖さ 2

続き


本当に私は怖さをごまかして生きてるなぁ

最近怖さを感じるようになってから、本当にどうにも生きてくこと自体が怖い

子供じみてるとか、給料もらってんだから当たり前とか

そういう頭でわかってることが更に怖さを掻き立てる

そして『大人なんだから当たり前』で死にたくなる

なので出てきた感情を批判、評価してたら苦しいままなので

子供じみててもそのまま書いておく

今までだってそういうぼやき倒しばかりだったが、今の仕事に就いてから?更に自己批判が酷くなった気がする

やっぱり私は中身は子供だから、ありのままも書いておく


正直、ショックなんですな

多分

ワーカーの言葉を借りれば『事務的』さが

大きな組織故にいろんな守ってくれる制度はある

だけど大きな組織故に融通性はない

母のことで有給休暇を使い果たした

母の付き添いなどで休まねばならない時には、根掘り葉掘り聞かれて

母の医師の診断書なり意見書を出した

欠勤は重いからと

守ってくれるが攻撃もされるんだ〜と思った

このくらいのことをしなきゃ休むことも簡単に出来ない

給料もらってんだから当たり前とか、何を甘えたこと言ってんの?の声は棚上げする


忌引き休暇は葬儀の終わった後に片付けや諸々のことだけでなく

気持ちの整理の時間でもある

そういう認識がなんとなくあった

これは私だけが思い込んでいたのではなく

昨夜旦那からもその言葉が出たのだ

私が明日(今日のこと)休んでいいんかなぁ?

弟は火曜日まで忌引き休暇でその後2日はシフトの関係でまだ休み

忌引き休暇が5日は私もだけど、火曜日は仕事にいくが、明日くらいかいいんやろか?

とか悩み倒してたら旦那がこう言ってくれた

つか
「何を悩んではるんかわからん」
「こんな時くらいしか大手振って休まれへんやん」

とも

じぃちゃんが亡くなったことも悲しかったけど、あの安らかな顔を見たら安心もあったし

葬儀を通したプロセスを踏んだから納得もしている

確かに思い出したら悲しみや後悔もたくさんあって、また泣けてはくるけど

それより何より、社会人をしてることが怖い


続く