長年の染み付いた感覚

先にも書いたが
『いつ死んで居なくなるんだろう?』

の不安は子供の時から

以前カウンセリングでワーカーに言われたけど

子供にとって親の死は、自分の生存危機

この恐怖心はただの感情面だけでなく、本能的なもの

幾度となく怖い場面に遭遇し、その度に心臓を掴まれたような痛みがあった

そういう長年の染み付いた感覚は、こうして骨になっても尚、なくならないんだと驚いた

もう怖くなる要素はなくなったのに

母の遺骨と遺影を旦那がちゃんと祀ってくれた

私がすべきことだけど、甘えておいた

なんだか、母が家に居るのが怖い感じもある

魂になって何もかも見られてるようで

母親なのに、あれだけこの数年は生きてて欲しかったのに

その母親なのに、骨が遺影が怖い

まだどこか恨み事を言われるんじゃという畏れ

罪悪感だろう


母の亡くなった病院にも持ち込んでいた、精神科からの過去の荷物

一昨日一緒に引き上げてきた

10年以上の入院生活

古い日付の手紙や日記

ただ、私は母に厳しいことを書いた手紙だけでもないことも見てわかる

母を思ってはいるものの、まだ時間があると思ってた時期

まだ子供も小さいし、あの頃自分も精神的に無茶苦茶だった

母を構う余裕がなかった

母の要求に応えられなかった

罪悪感は常にあったから見捨てようとした

見捨て切れなかったのは、見捨てられたくなかったから

わかって欲しいと常に願ってた

まともになって欲しいと


娘の写真を送っていたり、娘に手紙を書かせたり

そういう子供らしいこともしようと努力もしていた

足りなかった気持ちは常にあったし、今もあるが、あの頃もずっと思慕だった

こうなるまで認められずにきた

怖かった

支えてくれる人々を信用出来なくて


母の遺影は不思議だ

まだ精神科にいた時にがんとわかり、遺影用にと11月に撮ったもの

なんかモナリザの謎の微笑のように、どんな風にも見える

笑顔なんだが、時に泣きそうに見えたり

怒ってるように見えたり

私の心が反映される遺影

今見返したら転院してからの方が明らかに表情がいい

もう精神病の人の顔じゃない

そちらは使えそうになかったから遺影は謎の笑顔になって悩みが残った