一夜明けて 2

続き


祖母や叔父叔母も言うように、みんな自分が生きるだけで精一杯だった

あれだけコロコロ変わる精神状態

家に戻って飲酒したら、また不穏状態

時代は今と20年違ってて、薬も支援制度も今程でなく

私らは子供で知識もなくて

大人だった祖父母や叔父叔母でさえ、どうにも出来なくて

結局、こうなるまで母を病院に入れるしかなかった

罪悪感がつきまとって怒りになって、母を恨んで、病気とは思えなくて


通夜の朝の買い物で、みんな食べないかもだがお菓子も買った

やっぱり『おかんに』とすぐ思ってた

忌引きが明けてまた会社に出るようになる木曜日以降

『病院いかな』とか思ってて

7ヶ月、ずっと追い立てられていたから、しばらく癖は抜けないと思う

母が居なくなる怖さなんて、子供の時からだから、もっともっと時間がかかるだろう

「出来るだけのことはした」と親戚は言ってくれるけど、やっぱりまだ足りなかった気持ちがある

病院の師長や叔父叔母も「どれだけやってもやらなくても、足りないと思ってしまうもの」

と、母が逝く前から言ってくれてた

祖母に叔父叔母は
「もうやれるだけやったんやし、後は苦に思わんと、悲しまんでいい」

と言うが、私が見てくれ大人だから言うのかな?

そうかうちの親戚の特徴?

「悲しまんでいい」より「悲しいね」と共感して欲しいなぁ

前を向いて歩かなきゃならんのは、もう知っている

その為に家庭を投げ出す勢いで母と関わった

旦那も娘も耐えてくれたから出来たことだが

旦那と喧嘩した日も数知れず

直接母の面会に文句はつけたことはないし、母にお金を使うことも何も咎めやしなかった

だけど家事で足りない気がする私が勝手に責められたと感じ

防衛の攻撃をするからぶつかった

これからまた今ある家庭に専念する

これだけやらせてもらったから、それでも後悔は必ず残ると言われたように

こうしていっぱい過去からのことで残ってるけど、それは日にち薬で

その時間が短くなるようにと必死になった7ヶ月だったんだから

もう前は既に向いてはいるのだ

ただ、嘆く時間も許して欲しいだけ

私の親しい周りの人たちは、それを許してても、許されてない気になる発言になる

続く