一夜明けて 3

続き


それはやはり連鎖や引き寄せなんかなぁ

親戚にしろ親友ママにしろ

励ましてるつもりかも知れないが、さっきも書いたように

私は子供の時からずっと、共感して欲しかったのよ

「大丈夫、助けてあげるから安心して」

そう言って欲しかった

「何でも言ってくれたらいい」

それはちゃんと言ってもらってたけど、やっぱり何か一人でやらなきゃならない気になるのは

私の思いにはかけ離れているからか

励ましの言葉を聞いてしまうと、泣き言は許されない気がする

ずっとそれが満たされた気がしないから、ずっと私も訴える

だから段々周りも嫌になる

こうしてきちんと言葉にすることもできなかった

そういう風に共感して欲しいとか寄り添って欲しいとか

子供の時からのことだから、知らない国の言葉だった

共感は私の体の中にずっとあった渇望なんだけども

そうなんだと自分が今の今まで知らなかったのだ

言葉にするには自分の感情を知ってなきゃ、出来ないよなぁ

周りもまさか私がそれを知らないとは思いもよらずにいるだろう

私自身知らなかったことだもの

一般的にやるような対応するよなぁ

専門家じゃあるまいし


金銭面では助けてもらってきたし

そう言って助ける準備もあると言われもしたのに

ただただ、
「悲しいよなぁ。つらかったな」

とか寄り添ってもらってる感覚が満たされない

なんなんだろうか?

まだ謎だ


この末期がんとの闘いは、母の最後の子育てとこないだから思ってた

生きてるうちの母の子育ては終わったけど、まだ事後のことで私はこれからあれこれ学ぶ

それは死後の母の子育てなんだとさっき思った


だけどいろんなことに毎日追われていたら、人生なんてあっという間なんだよな

子供の時は長く感じる時間だったけど

仕事してても、『またこの日程が回ってきた』ってあっという間だし

子育てしてて行事を追っててもそう

もうあれこれ面倒くさい気もいっぱいある

もう私も(死んでも)ええわ

だけど、やるべきことが終わらないとお迎えは来ないんだよな

それでも鬱とか落ち込んでとかでなくて

気が抜けただけでもなくて

ただ慣れ親しんだ感覚で

もう自分も死んでいい、な気持ち