腑抜け 2

続き


それでも、母にはしんどい思いをさせたけど、親子3人

最期の3晩、一緒に過ごせた

私も昼間に近所の銭湯に行ったり、買い出し行ったり、タバコ行ったり

弟も3日とも猫の世話に帰ったりと離れはしたが、必ず交代で側にいた

寝るのも交代だったが、椅子でもうたた寝はしたけど


私らのそういう付き添いの体力的な限界や

小康状態なら仕事もいつまでも休んでられない

多分母もそういう私らの事情も考えてかどうかもわからないが

頑張ったけど最期はあっさり逝ってしまった

呼吸が乱れてから5分苦しむかと思ってたが、弟も私も1分かそこらだと思ってる

みるみるうちに死人の顔になるもんなんだと、二人して後から話した


母もあれだけドタバタした人生

ほんと最期逝く時は結構あっさりじゃない?

勿論、体が動かなくなってから1ヶ月

母も怖かったり悲しかったりしただろう

痛みは緩和してもらってても痛かっただろう

私らが頻繁に来るにせよ、もう死ぬからだと悟ってて

淋しかっただろう

淋しいと言って泣いたのもその頃だったかも知れない

食べることしか楽しみがない長年の入院生活で

面会も殆どないから最期の病院程は満足に食べられず

なのに刻み食になり、ミキサー食になって

13日からは酸素や点滴もついて

痰吸引もされて

呼吸はもう吹き出し呼吸と言われる辛いものだったし

辛かったから決してあっさりじゃないんだけど

それでもなんだかあんな風に苦しみ出してからはあっという間で

亡くなる病気とわかってたから私らも必死で投げ打って頑張れたんだけど

あんな直前までご飯食べてたら、『もうちょっとだけ時間あるのか?』な期待もあった

いや、半年は厳しいと言われたのに、7ヶ月に2日届かずなだけだった

よく頑張ってくれたんだけども

あの人生まとめて見たら、なんかえらくあっさり綺麗な退き際だったなぁと


あれこれ後悔もある

ただただ体も疲れてる

今日は家の案件片付けよう


後、心に引っかかってしまってるのは親友ママのこと

やっぱり私は傷ついてるみたい

過去からの私を思って言ってくれたにせよ、私の気持ちが変わったのは正月にも伝えてたし


続く