苦しい夜

やっぱり夜になるとダメ

昼寝を我慢してもこうだから、昼寝は大事な睡眠確保

ほんとに昼間は安心して、あっという間に眠りにつけるし

明日も絶対寝てやるもんね


昼寝した割には眠くなり、早々と布団に入った

だけども母の臨終の場面が、繰り返し繰り返し頭の中に流れて

またあっぷあっぷして、たまらず旦那に話しに行った

旦那はそれまでパソコンをしていたが、私が途中でトイレに行ってる間に電気も消して寝る支度

それでも構わず話してみたが

「重い…。全ての話しが」

とか

やっぱり旦那に話すのも、また見捨てられ感を増すだけ

何度目の敗北か

学習したはずなんだけど、抱えてられなくなったら挑戦してしまう

そしてまた打ちのめされて泣く→怒りに変えて乗り切る


旦那も主治医と同じセリフを言った

「そんなに覚えてたらしんどないか?」

「しんどいよ、しんどい言うてるやん」
「覚えてようと思ってだけでなく、頭の中に繰り返し繰り返し
6年生の時のことも二十歳の時のことも
あんたが転職した時のことも、勝手に出てきては刷り込まれる」

あの二十歳の見捨てられたと感じた日の晩御飯は何か覚えてるか聞いてみた

「覚えてないやろ?弁当やってん」

私も何もない昨日の晩御飯なんか覚えてもいないが

ああいう日のことは、前後の記憶もかなり鮮明だ

全て怖かったんだと最近分かったけど、怖さを知ると生きてられない感じになる

弱みを見せたら更に攻められそうだから


さっきほんとデパスが欲しかった

そうやって薬に癒やしてもらってきたと思い出した

今だって鎮痛剤に癒やしてもらってるから変わりないんだろうけど

他に何があった?

酒とか他のアディクションというんでなくて


結局、私の抱えてる怖さをそのまま話しても

「重たい」

また拒絶感を味わう

話す場所、人を選ぶにせよ、怖くなるのはこうして夜が多い

スポンサーも言ってたけど、夜に具合の悪くなる仲間は多いとか

孤独を感じざるを得ないものね

だから夜中でも電話を受けると言ってはくれる

ただ、自分が話しをまとめるのがしんどくて助けてと言ってない

でもほんとに自殺とかしそうになったら、助けてもらう


怖いと言っても、大人の私が感じる感情でなく

6年生の私の感情で、それはやっぱり生存に関わる本能的なものも含まれている

誰かにあの頃も助けを求めもしたんだが、周りも重たかったのか

はたまた周りもどうしていいかわからない混乱だったからか

私の感情は置き去りにされた

祖父母も近所の人も、学校の担任も

話しを聞いて欲しかったけど、どう切り出していいかわからない

ちょっといらぬ知恵がついた年頃だったから

学校の先生には私の切り口で怒られるはめになってしまった

「怒りや恨みをエネルギーに生きてるから」

と旦那に言われた

今までそれを『そろそろ手放さなきゃ』と自助グループに通い始めた19歳から思ってきた

だけど手放せないままに今に至る

無理な蓋をしてきたと、最近のカウンセリングでやっと分かった間抜けぶり

グリーフワークは酔いも伴うかも知れないけど

時期を逃したら厄介だと、身を持って知った

ほんとしんどいんですが

なんでやねん!!

ここで怒りにすり替わる

「怖かったね」

でなく

「言うこと聞かれんのじゃったら、施設に入れるぞ」

と怒られてたし

祖父母も親からそんな扱いされたことがなかったんだろうけど

やっぱり私はずっと誰かに共感して欲しかったんだと分かった

なんかほんと、あの夏はタイミングが悪いことばかりだった

母だけでなく、周りの大人みんなが、居なくなってしまったようで

弟は夜になったら喘息発作でぴーぴー泣くし

これも母が退院してから病院に行って喘息と分かったんだけど

これまた今思えば、弟に対する嫉妬心を増すことになったと思う

『私だってお母ちゃんに甘えたい』

とことん、弟をいじめ抜いた

嫌いで嫌いでたまらなかった

殺したいくらい嫌いだった

弟もそれだけ虐待されりゃ、同じように思うようになった


夜になると寝不足でも、過去のいろんな場面が蘇ってくる

今までだってよくあった

別居の後も難儀した

話したはずだったんだけど、寝かせた期間が長すぎて昇華に至らない

焦っても仕方ないけど、早く楽になってしまいたい

今まで26年も苦しかったのに、まだ後何年かかる?とか

ほんと気が狂うんじゃないかとさすがに心配になる

私にだって母の遺伝子があるんだし


ほんと見捨てられ感を伴っている体験は風化してくれない

18年前の晩御飯を覚えてる自分に自分でびっくりだ

トラウマなんだなぁと改めて思う


電気を消すとあっぷあっぷしてくる

かといって、なんか全く寝る努力をしてない罪悪感もある

だいたい電気ももったいないし

これほどしんどいのに、なんで仕事までしなあかんねん!

とか、また怒りパワーにすり替えて頭のチャンネルを変える

何も知らない方が楽だった?

それはきっと無理だったから今こうしてるんだろう


私は今、6年生の娘にさえ嫉妬心がある

よそと違って不安定で、たびたびご飯も作らない母親なので

そんな娘は同じようなもんなのに

それでも父母がそばにいてってだけでも嫉妬の対象だ

そう考えると、私って結構レベルの低い子供時代を送ってた?


「古いものを出さないと、新しいものは入らへんで」

と旦那は言ったが、手放すにせよ話しを出来る場所が限られてるから

古いものを出すに出せないんやんか

手放せ手放せは自助で充分過ぎる程聞いてきたさ

だからそうしなきゃと思って理論で言い聞かせてきたけど、何にも私の不満は解消しなかった

旦那が言うレベルの『古いものを出す』の前段階だと、自分が最近やっと分かったくらいで

ほんとうんざりしてるのはワシやっちゅうねん


『やっぱり人を心底信用なんかしちゃいけない』

今夜もまた学習したって感じ

なんか違ってると思いながらも、結局そうやんって

人を間違えたって話しにせよ、じゃあ夫婦ってなんなのさ

喜び悲しみも共にするんでねーの?

話しを聞いて、共感の言葉を述べるくらいなら出来るのでは?

とかまた怒りで傲慢になってしまう

まぁ、私の話しはそんな大したことじゃないから

とかたまには思うんだけど

私は虐待されたよりした方だし

親が病気になりました、なだけの話しだし

それでも、未だにこうして繰り返し繰り返し

頭の中に映像が流れてしんどいねんてば

トラウマやないなら、なんなんさ

しつこいってだけの話しかよ

じゃあ、私みたいなしつこいヤツは嫌われて当然よな

と今度はスネモード

こうして出てきた映像に対し、あれこれ自問自答

「リラックス?何の食べ物ですか?」

って話し


ほんともう絶対仕事辞めちゃるもんね!

こんなしんどいのに寝不足まで我慢して、日中不機嫌に子供に対応して

いったいなんぼのもんやねん!

アホらして仕方ないわ

もうほんまにほんまに辞めちゃるもんね!


断捨離に旦那を断捨離出来たらなぁと

母のことではあれだけ感謝して見直したのに

また見捨てられたと感じたら、すぐにこき下ろし

拒絶されたんじゃない

私が拒絶したんだ

みたいな


何なんでしょうね?

私の病気は

しつこい病?

ただ怖かっただけやねんけどなー

そうやったんやって言って聞いて欲しいだけやのにさ