早期対処

月曜日から仕事を休むことは躊躇われたし、自分が眠さでめまいもしてて

それが休む理由な気がして、罪悪感も感じてたが

娘の腹痛は本物だったし、病院行くまでに下痢も5回

女の先生は小児科専門だから、いつもかなり的確

「症状が軽くても食中毒の菌がいることもあるから」

とかで、すぐに綿棒くりくりの便培養検査になった

今日会社についてすぐに

「やっぱり菌が出ましたので、また検査もあるし来てください」

で、夕方行ってきた

「黄色ぶどう球菌」

と、多分言ったと思う

食中毒の菌

「何食べさしたっけ?」

と娘に聞いたら夜診の男の先生が

「手に傷がある人が調理しても、感染することもあるから」

とか

私、最近調理すらしとりまへん

自慢やないけど

雑炊作ったのは娘がこうなってからだし


で、待合室で携帯で調べてみた

なんやらとびひも上がっているではないか

もしかしたらだが、先に出来てたとびひを掻いて

その手で何か食べたか?

なんかその可能性が一番高い気がする

ついでにとびひも診てくれて消毒して薬の塗布もしてもらった

すぐにシャワーの時間なんで、もったいないんだけど

患部も診てもらっておかないとね

脇だから服が邪魔だしつい娘に

「全部脱ぎや。ぺったんこなんやからいいやん」

で、先生にも笑われた

まぁ、脱げるのも今のうちですから

もっとポッチリしてきたらそうもいきまへんしな

私は幼なじみの男の子と喧嘩したら何故か脱いでたが

そしたら逃げてくんだもん

今の娘よかポッチリしてたけどな!

昔っから変態だ


娘はまだたまに腹痛はあるけど、酷くなることもなく快方に向かってはいる

月曜日に大袈裟と思わず、病院に連れて行って良かった

私もそれなりに母親やれてるやんね

まぁ感染させちゃったけどさ

すぐに気がつけたのは素面だからで、やっぱり素面で良かった

とびひもあれからは広がらず枯れつつあるし


それはそうと

とびひとわからない間に同じバスタオルを使ってたから?

私の赤い発疹

昨年と違ってやっぱり痒い

水疱はないけど増えてきた

移ってる!?

仕方ないから嫌だったけど、シャワー後に娘と同じ処置をしといた

私のはおまた近くで診せられた場所じゃないし

でもこれで治らなかったら、診てもらうしかないか


相変わらず毎日こめかみから頭が痛い

左目も奥が痛い

緊張状態なんだろうな

ほんとちょっとでいいから気を抜いて生きてみたいよ

仕事辞めて、明日が来る不安も軽くしたい

寝れないとなかなか諦められないのは、仕事があるから

焦っても仕方ないと言い聞かせても、焦るんよなぁ

だけど1年半

よくまぁこれだけ睡眠不足で仕事続けたもんだわ

昼寝我慢しても3時間ちょっとが3日続いたりしょっちゅうだったしな

そらあちこち凝り凝りもなるわいな

痛みも出るわ


祖父は私が子供の頃は大阪で勤めていたし

ほんとに近所に住んでいた

一番、世話になった孫だ

毎日でもじぃちゃんと会うことだってあったし

祖父がその家を80歳を過ぎて建て替えて

だけど大阪の叔父が環境の変化(仕事もタクシー乗ってたり)で躁転して

じぃちゃん追い出したんだよな

私は結婚したてで、社宅に祖父を呼んだけど

祖父はひとりテレビとも喋るくらい、喋るし

じぃちゃん特有の整髪料は臭かった

私と旦那は2階で寝てたが、旦那の家でもあるわけで

段々板挟みになった

カウンセリング施設のカウンセラーに言われて

罪悪感は今でもあるが、冬空の下、叔父のいる祖父の家に帰ってもらった

そしたら叔父はやっぱり怒って追い出した

始発電車を寒空の下待って、祖父は田舎に帰った

祖母から後にもその時つらかったとじぃちゃんが言ってたと聞かされた

中途半端に関わったら、結局人を不幸にするんだよな


そんなこんなで祖父母はそれを機会に、叔父の躁転を恐れて

田舎に隠居することになった

ほんとは大阪の方が病院通いもしやすいし

新しく建てた家に住んでみたい

そう未だに祖母は言う

もう大阪に出てくる体力がないと言うし、また叔父がどうなるかも怖い

祖父母もいつまでも苦労する人生だ

じぃちゃんは最期はそういうことは忘れられたんだろうか?

そうならいいなぁ


そうそう

書きたかったのは他のこと

祖父はよく戦争に行った時の話しをした

子供心には何回も聞くから飽きてしまい、しまいに嫌気が差していた

でも、働く頃になってから、ちょっとは祖父母に対して対応が変わった

変わったというより、無理やり我慢した

私もそれなりな歳だからって

じぃちゃんばぁちゃんもいつまで生きてるかわからないし

話しを聞くくらい我慢だと


じぃちゃんが戦争の体験を何度も話すのは、じぃちゃんだけじゃないといつだったかにわかった

お年寄りがその話しを何度もするのは、自己治療の一環らしい

そら戦争はトラウマだもの

自分が撃った弾が人を殺したかも知れない

殺らなきゃ自分が殺られる

何十年経とうが忘れられるはずもない

暑かったり寒かったり

家族と離れて

母からも祖父が戦争から帰ってきた日の話しを、子供の時に聞いたことがある

髭もじゃになってたそうな


まぁそんな風に話すことは癒やし効果があるんだろう

私もやっぱり話していく方がいいんだろう

でも、なかなか同じ体験した人って居ないもんなんだよな

仲間の中でもさ

また拒絶される怖さもあるし

もう話して拒絶されるくらいなら、最初から話さない方が傷つかないですむもの

勇気を出しても、覚悟した時に限って遮られてきた

これまたトラウマの上塗り

私、結構傷ついてきたんやけどね

そういう素振りを見せることすら恥ずかしくてね

平静を装ってしまうんだな

はっきり伝えられたら変わってくるんかしら?


あぁ、何にもする気が起きないや

娘はにゅうめんでいいというが、それすら億劫

旦那は忙しいとか、ほんまかいな

早よ会社潰れろや


いつになったらいろんなことが平気になれるんかなぁ

感情もさほど動かず

他人ごとは他人ごとで

ちゃんと境界線が引けて、他人の気持ちを過度に汲み取らなくなるの


仕方ない

娘にご飯しよう

ほんまどんなオカンやねん…。