自分の感覚 4

(続き)


普通と言われる職場や近所、また軽い関わりの人ならず

仲間すら信用しきれないくらいに疲れたと言ったら理解されるだろうか?

そもそも、なんで鬱の人を普通の人には理解出来ないのか?

みたいなことも書かれてたけど、こちとら境界例だし尚更か。

仲間にもわからないこともあると以前言われてたけど

その欲求不満は許容範囲内だったから通えてたんだろうな。

その残りカスもないくらい疲れた。

今は自分を積極的に変えたくもない。

だけど罪悪感と焦りだけは健在で、更にエネルギーを吸い取って。

仕組みもこないだからワーカーに教えてもらってて

『ほんま自分て教科書通りやの〜。おもしろない奴』

って思ってた。

だから目から鱗ってほどの内容でもなかったけど

こうやって正直に自分の汚さを、そろそろ書こうかってくらいの気にはさせた。

本の著者が代弁してくれたような気になったのが

いくらか充電に繋がったんかもね。

こういう本って、ほんまに理解して欲しい人は絶対読まないから悔しいんだけどな。

そういう健康な人達には必要もなく、目にも止まらない本だから。


だけど

『わからせよう』

っていう根深い恨みがあるのよな。

でなきゃ子供の自分が救われない気すらするんで。

まだしばらくは葛藤するんだろう。

枯渇してるくせに。


どうにか強迫観念で仕事は行けてるし。

かまへん、かまへん。

くらいにしたらんとね。


(続く)