眠れない夜に思うこと

晩御飯を食べ終えてから眠くなって、布団に横になった。

さすがに電池が切れたらしい。

それから寝てしまった。


娘のことを気にしながら寝ていたので、21時半頃に目が覚めて呼ぶ。

娘も寝るために布団に入ってきた。

私はアラームにも気付かず寝ていたようで、ピルの服薬をした。

忘れないように毎日21時に合わせている。


それから1時半くらいまでなは寝直し出来たが

21時半頃に飲んだお茶もきいてトイレで起きた。

それから寝れなくなってしまった。

夕方に昼寝したのと同じことになってしまった模様。

疲れていてもこれかよ…とうんざり。

肩を違えてからそろそろ半月。

左に移ったこともあったが、ほぼ右側。

首は左が悪いから左を違えるよりはマシだけど

体ごとでないと振り向けない。

うつむくのも肩甲骨の辺りに響く。

寝て起きたらまた痛くなるの繰り返しなので、一向に治らない。

それもあり、最近眠りが浅い日ばかり。

日中の眠気を我慢するのは当たり前化してるにせよ、やっぱり辛い。


1時半なんかに目が覚めたら、朝までさすがに時間が長い。

家族は寝ているから電気をつけるのも躊躇うし

布団にいるしかないが自分の体重で肩が痛くなる。

ついさっき、真っ暗なリビングのソファーに引っ越してきた。

一昨日風呂をサボって寝てしまったから、昨日は朝からシャワーしたが

夜も風呂に入るつもりが寝てしまい、朝に入ることになる。

またもうしばらくして、外が明るくなり始めたら安心して眠気がくるんだろうなぁ。

だけどシャワーだけはしないと仕事に行けない。

晩御飯の後に眠気を我慢しなかったのは後悔だが、気持ち良かったんだもん…。


真っ暗な中、眠れない時間がやたら長いと、またいらぬことを考えたり思い出して余計に寝れなくなっている。

久しく母の臨終場面は思い出してなかったのに、またフラッシュバック。

体に更に力が入る。

実家にいた頃のことも思い出してしまったり

母が亡くなってからしばらくのあのショック状態のようなしんどさも蘇る。

秋になって落ち着いてきて、行事や娘の病気にかき消されていたけども

やっぱり忘れてしまったわけではないらしい。


なんとなくきっかけも思い当たっている。

また2ヶ月ぶりくらいにスポンサーにメールを出したのだ。

近況報告に。

スポンサーも忙しいからか返信もないのだが、それはまた自分に原因があるのでは?の不安も煽る。

ミーティングに行きたくならないのも、ミーティングで掘り返したくない気持ちが勝っている。

これだけ恐れている。

ワーカーが教えてくれたように、たくさん話していかないといけないのだが

口にするのが怖いのだ。

もうあの大きな感情の渦に飲まれて、その感情がおさまるまでただひたすら耐えるのが怖い。

母のことがなかった頃からなんだが、ミーティングで話して帰ると反芻しまくる。

それがまたそわそわして居たたまれなくなる。

そういうことからも今は逃げたい。

闘い疲れたんだ。


だけども、結構一生懸命生きてきたよなぁとも思う。

実家の時もそうだったけど、二十歳で家を出たり

結婚しても安心して暮らせることもなかったし

自分のアディクションの回復を目指してみたり。

旦那にも問題意識を持って欲しくて別居までしたり。

仕事もただ行ってるんでなく、こうして度々寝れなくて

昼寝を我慢しても寝れなくて

這うようにして強迫観念だけが力になって行っている。

母の最期もなんとかみた。

旦那が溜めた数々の滞納にもまた自分が対処することも、旦那側からでなく自分側から考えたり。

早くお迎えに来て欲しいのに嘘もないんだけど

やっぱり根底には人並みに幸せになりたい欲求があるんだよな。

努力しても手に入らないことの方が多いんだし、諦めて手放していく方が

もっと気楽に生きられるのに、やっぱり努力が報われる神話を信じて頑張ってしまう。

諦めるとかって悪い印象しかなかったけど、私のような執着心の強い者には大事なこと。

スポンサーもそれは言ってた。

期待しないことって。

だからまだまだ煩悩だらけなんだよ。

でもさ。

これもまぁ当たり前なんじゃないか?

私くらいの中年にはまだまだ煩悩だらけなんも。

物欲も歳を食ったらなくなっていくと言うし。

まだエネルギーが高いってワーカーにも言われたけども

幸せになりたいってのは自然な反応なんだから、努力するのも当たり前。

これから削ぎ落としていくしかない。

ちょっとだけ自分を全否定しなくなってるやん?

今は、これでいいのだー!


まだまだ先取り不安の癖はなくならないが

おかげさんで毎日を生きるのに精一杯で、何十年も先の心配まではしなくなったかな?

あの震災もそうだけど、母の死はやはり何らかの人生感を変えはしたよね。

よりよく生きるって欲求はまだまだあるけど

頑張っても変えられないこともある。

平安の祈りがちょっとだけ実感できたというか。

だから日々、旦那の溜めた負債に目がいくと躍起になってしまうけど

震災や母のことを考えたりすると、なんかちっぽけなことだよな〜ってなる。

またすぐ、きーーーっ!ってなるんだけど。

そう、ダメなもんはダメなんだよ。

いくら頑張っても母は死んだ。

最初から無力を認められてたらもっと楽かも知れないが

それが出来ないから病人やってる。

まだまだ先は長い。

やっぱりうんざり。

サラッと日々が流れてしまえばいいのに〜。

年々、日が経つのは加速してくれてるけどね。

今までは日が経つことが不安だったから、いろんな焦りも多かった。

今は逆に日が早く経って欲しいから、焦りはあるが以前ほどじゃなくなった。

もうあれこれし残してもいいか〜って。

充分、生き急いできたもんな。

これは成長した考え方でもないんだろうが

ちょっとだけ諦めることを学んだとも言える。

もっと応用がきけばいいんだが。


こんなうだつの上がらないことを誕生日に考える自分って、やっぱり真面目に一生懸命生きてるなぁ(笑)