表現が出来ない 4

(続き)


生憎、日曜日は京都の山小屋に行くというからまたにすると言ったが

義母もずっと気になってたようで、もう私から話すしかなくなった。

義母は旦那の実の母親だから寛容だったが

心配することは増えただろう。

私も実家の家系がお礼も言わずにきたことを詫びて

それから0時近くまでいろいろ話した。


依存症をわからない人には、大きな問題だとは思わないのはわかっていたが

やっぱりそんな感じが見受けられる。

説明しても無駄と知りながら、説明しないと仕方ない虚しさ〜。

旦那はこうして、こういう大変な作業からまた逃げた。

拗ねて誰かがなんとかして、過ぎ去るのを待つ。

それでも、もう家庭内だけで済ませていては

旦那も自分がやったことがわからないまま。

自ら夫婦カウンセリングを希望するくらいには

仕事に行って顔を合わすのが嫌と思うくらいには

問題に直面せざるを得なくなっただけ、まだ今までとは違うと思う。

私が今回ばかりは、「ノー」と言ったから。


旦那が本当に仕事に行かなくなったら、それもまた新たな底つきに向けてのこと。

腹がすわったら、結構恐れは薄れるもんだと、私はいい経験になった。


娘が数年前、万引きをして、夫婦で娘を連れて謝りに行った。

娘は子供だから逃げる選択肢も与えられなかったけど

それでも娘はきちんと自分のしたことに向き合った。

妻や親の話しだからと旦那は思っているだろうが

謝罪すら自ら出来ないとは。

病気と見れたら、哀れだけど

旦那本人の人格がと見てしまったら、ヘタレ過ぎて。

電話するしないの間に思った。

『この人はいざとなったら家族を守ってくれんな。』

また私が強くなるじゃな〜い。

はぁ〜〜〜。

大きな溜め息をついて、また出来た胸のつかえを追い出している。

だけどなかなか出てってくれない。

あまりに情けない。

情けなさ過ぎて。


(続く)