大うつ?

義父は日に日に無気力になっている。

ご飯も味覚がないし、食欲もなく

義母が持参するヨーグルトや、売店のかき氷くらいしか食べられない。

昼夜逆転もしてるようで、昼間はすぐにいびきをかいて寝てしまう。


で、奈良と神戸から帰ってから気がついた。

抗がん剤で味覚がないのは早くに思い出したけど

もしかしたらこの大うつ状態?も抗がん剤の副作用か?

飲み薬の抗がん剤を飲み始めた頃に義父自身が

そういう副作用を恐れつつ、冗談まじりに話してたことがあったわと。

身体が辛すぎて、そこに抗がん剤だから

以前は鬱にはならんかったけども

今回は血痰に骨転移に痛みにとたたみかけるように起こっている。

普通でも精神状態おかしくなるし。

抗がん剤の副作用もあるとすれば、この数日の落ち込みの酷さも納得というのか

もうどういう表現が当てはまるんかもわからんけども。


朝、病室に行ったら看護師さんがベッドわきにしゃがみこんで義父の話しを聞いていた。

義父の話しの内容から席を外した方がいいと思って病室の外へ出た。

家族に言えないことでも、看護師さんになら話せることもあるだろうし。


待ってる間に義母が来て、こういうことでと一緒に待って。

その看護師さんが出てきてから話しを聞いた。

昼夜逆転もつらいようなので主治医とも相談してくれると。


義父は少し話したりするけども、ちょっとしたら寝てしまう。

起こさぬように談話室で義母と話すも、2人ともだんだん言葉少なくなる。

ふと壁を見る。

こないだからも度々見てはいたけども、もうこの相談の段階かなぁと。

緩和ケアチームの相談。

義母にも提案して、看護師さんにも伝えた。

またおって連絡をもらうために、連絡先も書く。

前から旦那と私の連絡先も伝えなきゃと思いながら

あれこれしてたら忘れて帰ってばかりだった。


今夜旦那も顔を出してきたが、たまたま主治医とも話すことが出来て

昼間に私が話した緩和ケアチームのことも聞いたとか。

来週月曜日にもし話しをしてもらえるなら。

私と義母でまず聞いて、持ち帰って皆と相談になるだろう。


一時帰宅も厳しいかなぁと思ったが、今日仲間に会って聞いたけど

結構間際まで自宅に帰るよと。

今の義父の状態ならとてもじゃないが

義母も主治医にたまたま会って聞いたことだが

安定剤も使ってくれるそうで。

そしたらペインコントロールさえ出来たらどうだろう?

そら義母も言うように義母ひとりじゃ無理だし

誰か泊まり込みも必要になるけど。

その時に義父の望むことであるなら、出来る限り叶えてもらいたいし。

また緩和ケアの方とも相談になるんだろうし

いつ言い出したものか悩んでたけど

今日その話しもとっかかりをつけてきて良かった。

とはいえ、もっとはっきりした厳しい現実を言い渡される可能性の方が高いんだろうね。

「その時の決断は兄貴じゃ無理だろうし、俺しかないな。」

と覚悟も決めていた。

やっぱり日曜日から音沙汰ないしね。

旦那も連絡してないけど。


で、午前中にそういうことを看護師に伝えたりした後に病室に戻った。

しばらくして血痰が。

「あぁ…!」

と言ってしもうたわ。

そら義母も入院前日は怖かったろう。

吐血ってほどではないけども口から血を出されたら、やはりびびるし。

看護師に持ってって報告して、ビニール袋をかえてもらった。


義父は昔っからマメに記録を取っていたが

今回の入院は相当つらい中でも記録している。

検査や便の回数に血痰のことも。

感情は記載せずに。

主治医に見せて話してないと義母は言ってたが。


仲間には介護保険のケアマネに相談することもちょっと知恵をもらえた。

思ってたよりは早く着いたし。

頑張って行って良かった。


私の母の時には、がんも告知してなかったし

本人もさすがにわかってただろうけども

緩和ケアチームとかの相談もせずに

そして抗がん剤治療がなかったからか

結構間際までガリガリ君食べられてたしなぁ。

肺がんでも咳き込みもなく、ましてや血痰もなかったし。

静かに幕引きって感じだった。

義父は壮絶って感じで。

よく週刊誌の表紙に見る表現を、大袈裟と思っていたのだが

あぁ、ほんまなんや…と。


痛みも不安も、全ては無理でもなんとか取り除いてと祈るばかり。


しかし、遠いのはほんとにネックだ。