怒り 2

(続き)
 
 
ボーダーだと診断される決定的な出来事を起こし私は警察にお世話になった
 
ワーカーに自分をどう扱っていいか分からない苦しさを泣いて訴えた
 
その時
「5月からクロスアディクションミーティングというのが立ち上がるんですけど
参加されてみてもいいかも知れません」
 
そう告げられた私は、ポカンとした
 
 
ACメンバーでもない、AAメンバーでもない
 
そんな私にもメンバーシップが出来るんだ
 
これは私という人間が生きていてもいいんだと言われたように思った
 
  
自分を消したくて、殺したくて、周りも自分も散々傷つけて
 
それでも、生きてしまっている自分が情けなくて許せなくて
 
そんな私に灯った希望の火だった
 
 
アルコールに対しても無力だと認めるまでにはそれから1年半かかった
 
11年越しでやっとAAのメンバーシップを手に入れた
 
でも、ミーティング場の案内をKCOから取り寄せたが
 
子持ちの専業主婦にはなかなか厳しい状況だった
 
AAみたいに数のある自助グループでも締め出しか!!
 
結局、自助グループに通えるような人と言うのは結構自由がきいていたり
 
するもんだ
 
自分も子供がいなかったら身動きも取れてたと思う
 
でも、娘は私の目の前にいて、存在している
 
この子の存在を否定するわけにはいかない
 
私が私の存在を否定するのは勝手だが、母親は何があっても子供を
 
守らなければならない
 
 
そう言いながらも自殺しようとした事は何度もある
 
あの長い鬱の間、焦燥感に支配されたあの時期
 
何度も衝動的にベランダから身を乗り出して死のうとした
 
死を渇望していても、人間どこかで生存本能が働くもんなんだと
 
パワーを使い果たしては悔し泣きした
 
 
昔のように自助グループに自由に通えなくなった事に対して私はなかなか
 
受け入れられないでいた
 
実際ワーカーに
「御飯作れるようになってきました」
 
と報告した時
「旦那さんもGA行ってはるし、ご自身もそろそろ行かなあかんのちゃいますー?」
 
と言われ、クロスで大泣きした事がある
 
 
(続く)