いつまで痛い? 3

(続き)


晦日に弟といつもの如く喧嘩をした

大抵、私が上だし力もまだあったから勝つ

だが、あの時弟は玄関の鍵を閉めて私を閉め出した

長屋にはあの男の子と二人きり

また叩かれるかもと怖くなり

私は開けろ!とガラス戸を叩いた

それでも開けないもんだから

後ろ向きで踵でも蹴った

ガラスは割れた

母は
「大晦日に!」

と怒ったが、私は理由を説明した

でも聞いてはくれなかった

結局、私を母は守らなかった

この事実は受け入れ難かった

それは
『私はいらない子

を意味したから


今日は手抜きご飯で娘のリクエストもありうどん

おかずはできあいもの

娘が選んだのはグリーンピースを卵とじしたもの

私も昔は大好きだった

母が炊いたのは玉子はなかったが

甘いお汁が好きだった

商店街で豆を見て作ってとねだった

あの頃は料理上手でいろんなものも作ってくれてた

病気だから仕方ない

だけど母の連日の電話で嫌なことを思い出した後に

この豆の煮物はキツかった

悲しくて悲しくて号泣した

もうあの母は居ない


何でこんな病気があるんだろう

何でそれがうちの母だったんだろう

自己憐憫と分かっててもこの思いは消えない

自分だけがこんな経験をしてる訳でもないし

もっと辛い人もいる

だけど痛いもんは痛いのだ


よく思うのは
「自分だけがこんなってのはと思うな」

と言う人がいるが

「じゃあ同じ学年に同じような経験した子供はいたか?」

200人くらいおったけど、おらんかったと思う

やっぱり稀な経験やんけ!

と言う思い

不公平だという怒り


もうあんたの娘は死んだんだ

お互い傷つけ合うのはもう止めようや

だからもう止めようや

言いたいことは、あんたの可愛い可愛い息子にどうぞ